コンビニで当たり前のように売っている100円ちょっとの「おにぎり」、そして味もなかなか美味しい。先日は仕事に向かう電車の中でちょっと考えてみたことをまとめて文章にしたくなったので、記憶が残っているうちにアップしておく。
この100円ちょっとの「おにぎり」を、この質で作ろうと思うと650円コストがかかるらしい。よくよく考えると100円ちょっとで買える「おにぎり」というのは殆どインフラ化しているのではないだろうか。この100円ちょっとの「おにぎり」は究極のところまで殆ど到達しており、50円おにぎりにはなかなかたどりつかず、既にいい線いってしまっている。わざわざ作る必要がなく購入するメリットが高い商品なわけだ。
この1つのサンプルから思考を展開させると、100円ちょっとの「おにぎり」のようにインフラ化している商品は高効率の賜物で、私達が本来払う時間や原料などの対価としてのコスト650円という現実に対して、直ぐそこに手を伸ばせばある100円ちょっとの「おにぎり」を提案することで、圧倒的な囲い込みをしている。実は価格の差の問題ではなく、私達は自分達でも気づかずに「時間」を購入しているではないだろうか。
資産がウン十億ある社長が、嬉しいことは高価な本を好きなだけ値段を気にせずに買えることだと語っていたが、実はいくらお金があって、本を山ほど買えたとしても、読むために「時間」を消費しなくてはならず、本を読む速度で読める本の量が頭打ちとなり、お金は意味を成さなくなる。私達にとって一番貴重なものはお金ではなく「時間」なのだ。
100円ちょっとの「おにぎり」の本当に凄いところは、時間の価値650円を100円ちょっとで手に入れられることにある。実はコンビニのおにぎりというのは、おにぎりを作って食べること自体を容赦なく破壊してインフラ化しているのかもしれない。そのようなことが自分の直ぐ目の前に広がっているのが現実であり、恐怖すら感じる。
ビジネスの成功率を高める可能性があるとすれば、私は、必ずこの「時間」を産み出すものに収斂されてゆくと考えている。
2011/06/27
おにぎりと破壊
ラベル: 話題