天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先ず其の心志を苦しめ、其の筋骨を労せしめ、其の体膚を餓えしめ、其の身を空乏にし、行其の為す所を払乱す。
非常に含蓄ある言葉。
2011/05/28
2011/05/26
焼きド(焼きドーナツ)
親友がミスドの店長をやっていることもあり、ミスドの新作には、ついチェックが入ってしまう私ですが、何を隠そう、私の親友は私が昔アルバイトしていたミスタードーナツに入社して、それ以来そこで働いているという面白いエピソードがある。当時、ミスドでは主に飲茶のトレーナーをやっていたり、ドーナツを作るベーカーや仕上げをするフィニッシャーなんかもできるし、ハンドカットという手作りドーナツもこなせるので、実は社員バリに店舗を回せるという特技がある(笑)さて今回は、この焼きドを試食したが、これが油であげたドーナツとは全く違うしっとりとして柔らかい食感、コーヒーとの相性も良く、とても美味しい。後は焼きドならではの味のバリエーションを工夫すれば良いかと思う。カリカリした香ばしさがあっても良い。今後に期待したい。
ラベル: 話題
Bershka
スペイン発のカジュアル衣料ブランド「Bershka(ベルシュカ)」を見学に行った。日本第一号店となる「Bershka渋谷店」に引き続き、第二号店が越谷にオープンした。「Bershka」はスペインのインディテックス社が欧米のティーンをターゲットに、1998年にスペインで創業したカジュアル衣料ブランドで、同社が展開する「ZARA」の妹的なブランドとして、世界49カ国に700店舗以上を展開中。 縫製は雑だが、ポピュラープライスは若者向けにおさえられていて値ごろ、いかにもファストファッションといった感じであったが、中には4990円?と飛びぬけた価格もあり、おやっと感じることもある。全体的にビビットで鮮やかな色使いのアイテムが多く、奇抜なデザインのカットソも品揃えしていた。あまり認知度が高くないようで、お客さんの入りはいまひとつであったが、何度か足を運んで店舗チェックをしてみようと思う。
ラベル: アパレル
2011/05/25
自分の生きる道を探る
最近深堀しているところを備忘録として記する。
吉田松陰⇒高杉晋作
⇒孟子/陽明学
2011年8月末ぐらいまでは、この領域を学んでゆく。余談になるが、「高杉晋作」をYou Tubeで、ググッたら某宗教団体のトップが高杉晋作になりきって話をしている動画があった。その滑稽さで最後まで見ることができないぐらい、ひどいものだった。生き方を学ぶのなら、直接自分の五感を使って学ぶべきだろう。孟子の教えを学びたいなら、誰かを介することなく、直接「孟子」に触れることが肝要。だから私も松陰から、松陰に影響を与えたそのルーツへと戻る道を選んでいる。そのような中から自分はこうありたいという「自分の生き方」「自分の生きる道」が確立されてくるのではないだろうか。
ラベル: 話題
TEDの認知度
最近はFacebookと言ったら、わかる日本人が増えたし、Facebookを持っている日本人も増えたから、メールアドレスの交換や電話番号を聞かずに、Facebook経由でお近づきになる、というよりもいちいち面倒なので「Facebookありますか?」で会話することが殆どだ。「えっ?それは何ですか?」という人とは、あまり交流する機会はない。何をやるにしてもお互いが触発されるような関係や環境を作り出すには、ある程度同じ情報などに接しているか、全く未知のことに通じているかが必要になるのではないでしょうか。情報インプットで近頃私のブームになっているのが「TED」というのは以前、ブログでも書いたと記憶している。2013年のインプットの大半を英語圏から、吸い上げようとする場合には、良質な情報源をいかにおさえて、日本語からシフトさせるかを日々実行していかなくてはならない。その魁となったのが「TED」であった。この「TED」も日本でも随分認知度があがってきており、著名人がブログなどで話題にすることで拡散が進んでいるように感じることができる情報を目にする。今回はてなの近藤さんがTEDxTokyoについてブログを書いているが、ここで情報をもう一歩踏み込んで掘り起こすヒントを頂いた。キーワードを「TED」でググっても、かなりアクセス件数が高いプレゼンしかヒットしない上、You Tube上のTEDの公式ページでは選りすぐりのプレゼンしかアップされていない。「TEDx主要都市」で検索をかけると、かなり大量のプレゼンにアプローチすることができる。自分にとっては重要であるかもしれない情報が埋もれていて、そこを採掘する道具を頂戴した!! 盲点であった。
ラベル: 話題
2011/05/19
現代に志士が現れない理由
本屋のおじさんと立ち話。今みたいな時勢は、日本に幕末のときのような偉大なリーダーが登場するのかという話題に対して、「お客さん、わたしゃ、この時代には志士は現れないと思うんですよ」「教育がまずい」つまり、当時の日本にあったような全人格形成の礎を築けるような教育の場である藩校や寺子屋が存在していない。というような話から、江戸時代における「刀」の本当の意味というところまで話がとんだ。刀は武器というより、精神を象徴するものにその存在目的を変貌させたのではないか。というところまで延々と続いた。「講孟余話」これは吉田松陰が発した生の言葉をまとめたものだ。教育のなんたるか、どうしたら志高きリーダーを育てることができるのか、そんなヒントがつまっているように思える。
ラベル: 話題
2011/05/18
異端児
店舗の店長室に文庫を作ってスタッフが自由に読めるように貢本していたのだが、先週、ボスとボスのボスとボスのボスのボスが入店して、文庫が禁止となった。原因は並んでいた本の中に堀江貴文さんの著書が2冊入っていたことだが、自社が求める人材は「正統」であり、「異端」の代名詞であるような堀江さんの著書は悪影響とまではいかなくても、思わしくないということらしい。しかし、常識を覆すのは常に異端と呼ばれる者達なのではないかと思っているし、そもそも筋が通っていない。それこそこの棚に並んでいる本を全て激務の中、全て読破できるほど好奇心旺盛で時間を創り出すことに長けている新入社員なら、どのような内容の本を読んだとしても、右に左に流されるものではない。つくづく思うのは、このような姿勢を色濃く持っている自分ほど上司が好む「正統」の継承者と対極に位置する部下もまたいないのではないかということ。
ラベル: 話題
2011/05/12
ユッケを喰らう
今は道なき道を自らが判断して進む時代だ。巷ではユッケ自粛で騒動が起きているようだが、ユッケは危ないと情報を鵜呑みにして自粛すること自体、意味がない。ユッケ自体は、今までずっと食べ続けているものだ。早い話、この一皿は大丈夫なのか、すべて自分で判断すべきであり、誰かのお墨付きを求めて判断してゆくことは逆に困難だ。肉屋に限らず、私が働くSC内のフードコート内にある蕎麦屋は、食中毒にあった人間が私の身近に2名いる。うわさでも何名かいる。ということは食わずして、この店舗の食に対する管理は杜撰なのは十分に想像できる。私が今回、注文した一皿、この騒動の中、お客様が望むのならお出しできますと、平然と言ってのける、これは自信があるからか、余程の盆暗かどちらか。いちアルバイトスタッフが空気を読んで対応するところを見る限り、教育もなされている。値段にしても手間をかけても利益があがる値付け、食べても問題ないことは運ばれてきた皿を見て感じ取ることができるほど、見事な色艶。自分の人生で、残り何度食事をすることができるのか、人間は有限に気づいたときに、こだわりを持つようになり、必死に思考するようになる。ユッケを喰らうことは、思考停止に対しての私なりの一種のアテツケだ。ヒトが同じ方向に向かうとき、その反対側に最高の機会が眠っている。一番旨いユッケを喰らいたいなら今がその時だろう。
ラベル: 話題
Dentsu 10 rules
- Initiate projects on your own instead of waiting for work to be assingned.
- Take an active role in all your endeavors, not a passive one.
- Search for large and complex challenges.
- Welcome difficult assignments, Progress lies in accomplishing difficult work.
- Once you begin a task, complete it. Never give up.
- Lead and set an example for your fellow workers.
- Set goals for yourself to ensure a constant sense of purpose.
- Move with confidence. It gives your work force and substance.
- At all times, challenge yourself to think creatively and find new solutions.
- When confrontation is necessary, don't shy away from it. Comfrontation is often necessary to achieve progress.
電通の鬼十則も英語にすると、その凄みが失われる。鬼とは死霊、生きている人間が鬼と化すということは、つまり死を覚悟した者を示す。武士で言えば、命を賭して物事にけじめをつけるための腹のくくり。生きながらにして死した者の迫力がある。日本語の十則には、このような凄みが内在する。この英語からは地を這うような泥臭さなどは感じることができない。会社の理念を他言語に翻訳するときに、一番重要なのは、その本質を骨の髄まで理解した人間で、かつ他言語に明るい人間が、一語一句吟味しながら仕上げることだろう。人任せにしたツケは必ず企業文化の衰退という形で精算しなくてはならなくなる。自社の翻訳された理念にも、勘違いした表現を見つけることができる。
ラベル: 話題