少し前の記事になりますが、過酷な環境下では生産性が低下する。例えば長時間労働などについて、決して過酷な環境下でも、ハイパフォーマンスな人々は多々存在しており、ワークライフバランスのバランスの整合性を取らずに、なんとなく実践している結果、わがままな組織になっている、なってゆくのではないかという内容。
緩い環境から一転、厳しい環境に変化した場合、多大な摩擦が発生し、耐えられない者が悲鳴をあげる。生産性が下がるというより、放棄、あきらめに近いのではないかと思う。そのような人々は、既に人生の消化試合に入っている。不毛な時間の垂れ流しと、不平不満のくそまみれだ。勝手にしていればよい。人間は飛躍できるし、飛躍できないのもいる。
私達が好むにせよ、好まないにせよ世界は絶えず変化する、激変することもある。厳しい環境から、更に厳しい環境に変化することだって多々ある。結局ワークライフバランスとうのは真っ白なキャンパスに自由に理想を描くというより、現実に直面している環境の中で、必死にやりくりして、なんとかしてゆくしかない、時間で調整ができないなら、たった1時間でも、幸福感に満ちた時間の使い方をするというところでバランスを取るしかないわけではないか、と私は考えている。つまりは量ではなく、質の問題だ。
2008/11/06
過酷な環境と適応能力
ラベル: 仕事