創業者にとって、会社を自己実現の場にして欲しくないというのは、理想だと思うが現実は難しいのではないか。この自己実現は、会社への帰属意識が高いひと、低いひととも密接な関係があると思う。自己実現、つまり自分の実力を高めることや、自分の目標、たとえそれが現在働いている会社の中での達成目標でない場合、極端な言い方をすると会社を踏み台に使おうとしている人間にとっては、会社は文字通り自己実現のプロセス段階の場になる。外資系商社の友人の話を聞くと、同僚は皆、自分の力になるような仕事はガンガン引き受けるが、どうでもいい(将来の自分のスキルアップや市場価値を高めないようなもの)仕事は知らんぷりらしい。会社への帰属意識は皆無に近いが、自己実現力のある人間は仕事でも有能なことが多いのが現実とも言えるのではないでしょうか。自己実現しようとも思わず、何も考えていない社員というのは、会社への帰属意識も比較的高く、会社へ依存していることも多いというのが私の経験から感じるところです。そして仕事の遂行度も疑問を感じることが多々ある。創業者としては会社を自己実現の場(主に転職や自分の目標達成)にして欲しくなく、社員全員が志高く、会社への帰属意識も高く、仕事もバリバリこなしてくれるというのが理想であるが、現実は帰属意識が低いけど自己実現のために働くような有能な社員が会社を支えていて、帰属意識というよりは会社がどうにかしてくれる、会社は私に何をしてくれますか?スタンスの会社依存のゾンビ社員がぶら下がっているような状況ではないだろうか。会社は何もしてはくれません。会社はよほど役職があがらない限り、私達ひとりひとりをケアしてくれるなんてことはありえないし、創業者が私の名前や人生を気に留めることなんてないのです。創業者は事業を通して社会貢献や私達の雇用の場、顧客ニーズの実現など大きな重荷を背負っているわけで、ひとりひとりを見ているわけではないのです。会社が何もしてくれないことをよく理解している人間は、せっせと自己実現をしてゆきます。こんな会社は果たしていいのかどうか。このような状況が大企業病を引き起こす1つの要素であると私は感じていますが、これを払拭する方法を考えてみました。もちろん自己実現の目標が社内であることがいいのですが、自己実現が外にある場合、自己実現の強い人間が志を高く掲げて社内に根をおろし、濃密な仕事をきっちりこなしてくれるような環境はどのように築き上げることができるか。それは上司が魅力的で、人をひきつけ、常に成長機会が溢れていることではないか。つまり上司なのだ。上に立つ人間が誰よりも、どんな企業よりも素晴らしい環境を提供できることに尽きる。その上司との時間が何よりも自分の成長を促し常に刺激的で、どんなに頑張ってもとても追いつけないほど上司の成長速度も早く斬新である場合、部下は、その上司と仕事をすることでたとえ自己実現が外にあったとしてもチームへの帰属意識や志も高く、モチベーションも非常に安定してゆくことができる。いずれ去ることがあったとしても、去るまでの1分1秒を完全燃焼することになる確率はぐっと高くなるだろう。上司の上司を辿って行くと創業者(orトップ)ということになる。トップがそのような人物であるならば、自分までの間のどこかのチェーンで破綻が発生している。それがつまりはろくでもない上司であり、ゾンビ社員である可能性が高い。このチェーンを破綻させないように企業風土を改革してゆくことが大企業病から脱する手段であり、自己実現の場大いに結構でも、風通し良く活気に溢れた会社にするポイントなのかもしれない。上司たる人間はそうあるべきだ。海外だと、この会社に対する帰属意識は、日本独特の終身雇用や年功序列の会社というか社会システムに慣れている私達にとっては、恐ろしいほど低く感じると思う。そこで自己実現大いに結構!志高く、結束力のあるチームビルディングの能力を高くすることができれば、逆に国内での影響力も格段と高くなる成長機会であると感じている。