教える時にもっとも学ぶ、教わる時より3倍学べるのはなぜか。
- 明文化したり、自分の言葉としてアウトプットするということは、頭の中で考えたことの整理であり、効率よく伝えるために整頓をしなくてはならないからである。
- そのプロセスにおいて、自らのロジックが破綻している部分に気づき、そこを穴埋めすることの作業により、知識はより一層その人間の血となり肉となりうる。
- 磨き上げた英知を繰り返し他者に伝えるという反復作業は正に練習そのものである。
では、常に教える側にいたほうが恐ろしく成長できるのではないか、ということだが、教えることが単純な繰り返しになってしまっていては、決して3倍の成長はのぞめない。ブラッシュアップが必要だ。そこで実行すべきは、優れたトレーナーにつくこと。一旦は教わる側に回るが、新しく吸収したことをフル活用して、教える側に立つことで、3倍以上の学びを得ることができるのではないか。非凡なトレーナーがどのような点が優れており、どのような点に注意してトレーニーとして指南を受けるべきなのか。
- 全体像をどのように捉えているのか、マクロとミクロの視点を自由自在にズームイン、ズームアウトさせるときの着眼点を盗み取る。
- トレーニーのロジックが破綻しているところを見極めるために、どのような質問を投げかけ、確認を取るのか、またピンポイントで理解不足のところを、どのように補強してゆくのか、その具体的な方法と、根底をなす知識や教養を把握する。
- 複雑怪奇なことを単純明快にステップダウンしているか、また記憶に残るようなインパクトを与えるためにウィットに富んだ表現があるのか、耳を傾ける。
- 教わったことを直ぐに活用できる場や機会を創出しているか確認する。
- 革新性を有しているか探りを入れること。
教わる側は、教わる内容だけにフォーカスしていては、時間を浪費してしまう。教えるノウハウを盗み出すことを疎かにしないよう、違った視点でトレーナーを観察することを心掛けたい。