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2010/01/28

香港一人旅④2010年1月26日

今回の旅の目的である、香港の友人の結婚のお祝いをTapas Barにて、本当は和牛焼肉でガツンとやる予定だったが、この日は仕事がタイトで、時間に間に合わなかったため、香港で一緒に着任した日本人駐在員の友人と2人で久しぶりに食事をした。お互い5ヶ月前まで一緒に仕事をしていたのが、嘘のようで、もう1年ぐらい時間が経ったようだと、当時の話や、現在の人事、これからのことなど、色々と話し合うことができた。その後Taxiでビクトリア湾沿いにあるサングリアホテルの1階にあるTapas Barにて皆と再会。なぜかホッとした。この安堵感は、チームでずっと仕事をしてきた連帯感から来るものだろうと感じつつ。美味しい赤ワインと食事を頂いた。
食後はデザートを食べに、またまたTaxiで移動、そこにSpecial Guestが登場、懐かしい顔ぶれで、香港Sweetsを堪能し、香港滞在最後の夜が終わった。
Benちゃん、ご結婚おめでとうございます!!
お2人のご多幸、心よりお祈り申し上げます。
そして早くBen Jrが誕生することを楽しみにしております。
とても楽しい夜でした。ありがとう!!

香港一人旅③2010年1月26日

補足

この花は、名前の縁起が悪いため、人からどんどんと略奪されるのを
見事に逃れてきたので、今でも山に生息することができているらしい。

この石についているコケは「岩衣」というらしく、小さな円でも10年ぐらい
時間をかけて、空気中の水分などを取り込んで成長する。美味しい空気
がないと育たないらしい。

こんなことを話しながら、下山しました。

2010/01/27

香港一人旅②2010年1月26日

昨晩は2時過ぎにHotelに戻り、翌朝は8時には目が覚めた、窓を開けると空はどんよりしており、あいにくの天気になってしまった。今晩は友人の結婚祝いの食事会があるので、日中は、香港で一番大きな島、Lantau Islandにある山では一番高い「鳳凰山」934mの頂上に立つために山登りをする計画を立てていた。九龍半島のHunghom Ferryから中環に移動し、中環からLantau IslandのMui Woへ渡り、そこからNgong Pingというルートで鳳凰山の入り口に至る。途中には石壁刑務所がバスの左手に見える。

中環のフェリー乗り場にあるSubwayでサンドイッチを2つ購入し行きのフェリーの中で朝食を済ませる。1つは山登りで遭難したときのために水と一緒にバッグの中に入れておいた。昼前にNgong Pingに到着すると小雨が降り始めている。折角ここまで来たのに諦めたくないという気持ちと、山頂付近の天候は下よりも早く、突風なども考えると、あまりリスクを取ることもできないと迷っていた。できるところまで挑戦すると決心し、折りたたみの傘を購入し、足早に登山道の入り口に進む。ここに来るのは3度目だ。今回の試みは、山登りを通して「自分と向き合う」である。

いよいよ鳳凰山の入り口に、山の上の方には濃い霧がかかっていて、山頂の状況はどうなっているのかわからない。風も少し強い。真夏の強い日差しの中を登るよりはいいが、最高のコンディションとは言い難いのも事実。山頂から日の出や日の入りを見ようとすれば、天候にも大きく左右されるため、運も必要となるだろう。後からわかったことだが、Ngong Pingから鳳凰山の山頂を目指すコースは反対側のコースよりも急斜面で負荷がきつく、平均で2時間半程度登り続ける必要があり、平坦な道はなく、崖のようなゴツゴツした不ぞろいの岩の階段を登ってゆくので、登るのにはある程度の決心が必要だ。

道の途中には「努力年青人」とチョークで書かれた文字がある。青年よ努力せよ! というMessageだ。山を登り始めて、本当につらいところで、頑張れなど、多くのメッセージが書かれていた。おそらく親が後から登ってくる子供へ残したものだろう。

険しい山道が延々と続き、引き返そうかと、何度も思ったが、なんとか山頂近くまでやってきた。山頂らしい雰囲気で、もうひと踏ん張りすることができたが、実はそこからが、またかなり長い道程であった。

山頂は雲海を見渡すことができ、まるで天界にでもいるかのような錯覚を起こすほど、恐ろしく美しい風景で、遠くの雲の切れ間にうっすら太陽に照らし出された空が見える。山頂で出会った香港の皆さんに、葡萄や人参などをお裾分けして頂き、持ってきたサンドイッチを雲海を眺めながら食べたときの爽快感は、一生忘れられない。生きていることの充実感、ここまでこれたことの達成感、良い時間を過ごすことができた。

山登りとは、人生の縮図である。登っている足元が現在、登ってきた道が過去、上を見上げれば未来がある。ひとりで登るときもあれば、誰かと登るときもある。誰かとすれ違ったり、追い抜かれたり、山登りには人生の俯瞰するような要素が多々含まれている。登ればわかるが、登ってきた道をどうしても振り返ってしまう。人間は過去に固執しやすい動物だ。そして過去に戻りたい誘惑に駆られることも多い。道を引き返せば楽になれるのではないだろうか。そんな迷いが私の足取りを重くさせた。上を見上げれば、一寸先はどのようになっているのかわからない。霧もかかり、不安でいっぱいな気持ちになる。どこまで行けばいいのかすら、見えてこない。未来は足元の一歩一歩の積み重ねなのだ。山登りとは、人生の縮図である。いくらか進むと、後ろを振り向く回数が減ってゆく、引き返すよりも登りきったほうが楽かもしれないと思い始める瞬間がある。折角ここまで来たのだから引き換えしたくない。人間の一生には、このようなタイミングが訪れるのだろう。前進むしかないと決断したとき、人間は前を見据えて、歯を喰いしばって登り始める。山頂が近づくとき、あと一息、もう少しだからと勇気が湧いてくる。頂上が見えるとき、嬉しさが込みあげてくる。思えば遠く、来たものだ。生きてきた道に思いをはせながら、今度は山の頂から、全てを忘れて無に帰する。あのMessageは、親が子供に見せる背中である。自分も厳しくつらい瞬間に、頑張れとMessageを送るということは、先に生きる者の責任でもある。そしてこの登山道を作った人々のことを考えると、さらに脱帽する。「志」が成せる業だ。下山は、山頂で出会った香港人の老夫妻と、行き方について、仕事について、日本のこと、香港のこと、本当に色々なことを話しながら山を降りることができた。人生に迷ってくよくよしている時間があるのなら、山に登ることをお勧めしたい。頂上で何かをつかみ取ることができるはずだ。

香港一人旅①2010年1月25日


香港に到着したころには、すっかり日が暮れていて飛行機の窓から、キラキラと光る香港の街が見えてきた。空港に着くと、旅行会社の方が迎えに来てくれていて、滞在するBP International Hotel まで直接送ってくれるとのこと。自分で行くつもりだったので、かなりラッキーだった。お客さんは私ひとりだったので、小型のマイクロバスに、運転手さんと、添乗員さんと3人という変な空気であったが、新しく開通した橋のことや最近の香港の変化について、説明をして頂いた。Hotelに到着してから、直ぐに友人に電話を入れて、待ち合わせをする。ミラマーショッピングセンターの近くにあるタイ料理の店で久しぶりに、友人と再会をした。変わらない皆の素敵な笑顔に癒されつつ、激辛トムヤムクンをぐいっと飲み干して、2件目に移動する。今日は友人のNickyの誕生日(本当は1月27日)のお祝いで、友人が集まるので、一緒に参加させて頂いた。ハーバーシティー近くのBarの個室に入り、皆でおしゃべりをしたり、香港では、みんな知っているお馴染みのゲームがあって、サイコロを使って賭けのようなものをやるゲームや、手を使って遊ぶゲームで負けたら一気飲みではないが、グラスを半分あけたりするのがルールとなっている。もちろんカラオケをしたりと日本の若者となんら変わらない文化と言っていいと思う。
今回の旅でまた新しい友人ができたのがとても嬉しかった。次は北京語か広東語でコミュニケーションが取れたらいいねと深夜2時まで盛り上がって、お別れをした。香港で暮らしていたら、こんな素敵な友人達と毎日を送れるのに…と後ろ髪を引かれながら真夜中のネイザンロードを一人歩いていた。再会の喜びとお別れの寂しさが複雑に入り混じった少し肌寒い香港の夜であった。
Happy Birthday Nicky !!

2010/01/23

香港滞在記 第6話 ヒトのベクトルを合わせる

ビジネスはヒトで決まる。志が同じでないヒトが集まると不幸が多くなる。個性のダイバーシティ(多様性)は必要だが、Wayはダイバーシティであってはならない。事業が短期間で成功できるかどうかはヒトの選別から何事もはじめるべきだ。それがお互いにとっての幸福であり、利益にもなる。肌で感じてはいたが、最初から要望を貫き通せば良かった点である。そして最悪の場合は、大鉈を振わなければならない覚悟はするべきで、大鉈を振るならできる限り少ない回数で、妥協しないほうが大きそうな傷でも、さほど尾を引くことはないだろう。何度も鉈を振るえば、振るうほど貴方はただの独裁者となってゆく。そこには恐怖政治しか存在しなくなる。1年苦しんで学んだことだ。

2010/01/08

香港滞在記 第5話 遠回りのようで実は近道

私はお見合いをしたことがないが、お見合いをするということは、こんなことなんだろうと香港の店舗に着任してわかった。全てが手探りの毎日、どこまで要求していいのかも手探り、どこまで可能なのかも手探り、理由は私は、この国での事業と現場を知らないからだ。今となって言えることは、一通りやらないと何ができるのかなんてわからないということ。整理整頓しようにも、何が不要か、何が本当に必要かは自分がやってみてはじめて理解できるものだ。はじめにできることは整頓という並び替えで、整理という本質に迫ることは難しい。そして一緒に仕事をしようというお友達視点も全く意味をなさない。やるべきことは自分でどうやってベストを作り出すかだけだ。新入社員のメニュを半年ぐらいかけて自分で完結させるのが、いいのかもしれない。顧客にとっても、会社にとってもそれがベストだろう。その国の現場から叩き上がらないと、その国のマネジメントはできない。振り返れば年単位で時間を浪費するだけになる。要するに最短で業務習得を行い、最速でブラッシュアップするのがBestwayだ。Global wayとは最短最速で近道を探し出すことにほかならない。

次に新規海外事業に携わるなら、間違いなく倍の速度が出せる。
学んだことは非常に重要だった。当初計画と実績、反省点は全てデータ化して
所有しているので、これは次の挑戦のときに必ず役に立つだろう。

2010/01/05

香港滞在記 第4話 なんだこれ②

ベランダがない。ベランダがない理由を聞くと大体飛び降り自殺を防ぐためというが、そんなに多くの人が死んでいるわけではないし、そもそもベランダがないのに、どうやって過去の統計を知ることができるのだろうか。ベランダがない理由はベランダがないだけだ。飛び降りたいのなら、いくらでも飛べる場所は存在している。湿度が高い香港は、室内にある衣類が湿ったり、カビがはえるので、どちらかというと窓を閉めてエアコンのドライか、除湿機をかけるほうが洗濯物にとっては有効なのかもしれない。結局、「ベランダなんてどうでもいい」が香港の常識。私はここに見えない市場があると思っている。数を多くの高層ビルやマンションが存在している香港、立地以外に何か付加価値をつかられるとしたら、ベランダかもしれない。広めのベランダでBBQ,もちろん安全面を考えると、強風や豪雨、日差しに備えて、ちゃんとバリアのようなものが必要だが、なぜベランダの市場が隠れているのか感じたのか。それは香港人があの手この手で狭い窓から洗濯物を外に干しているからだ。つまり毎日のように、空の上から水滴が落ちてくるだけ需要が眠っているということに他ならないということ。

異文化との遭遇は、見えない市場との遭遇

2009/12/28

香港滞在記 第3話 なんだこれ①


日々の観察の中でふと目に付く不思議のうちの1つ、香港島のホンハム埠頭沿いの歩道には四角い穴がたくさんあいている。釣りのする穴のようなのだが、一体いつから此処にあって誰が開けたのかはわからない。しかしこれほどの穴をランダムに開けているということは、香港政府でもなければ公的機関でないのは確かだろう。香港人は、誰が開けたのかわからない、この穴で釣りを楽しんでいる。

2009/12/24

香港滞在記 第2話 住めば都理論

住めば都理論

人間は自分と違うものを見たとき、ギョッとするが、毎日見ていると新鮮さがなくなり、何も感じなくなる生き物だ。ごく普通に考えられない受け答えを1つ、「貴方は、汚れきった東京湾や、川で水泳ができるのか?」という質問に、「もちろん大丈夫」という答え。でも香港の(一部だと思われる)人々は、そんなことはおかまいなしだ。毎朝季節を問わず、かなり多くの人々がビクトリア湾に飛び込んで泳いでいる。手前に視線をやるとゴミがプカプカ浮いているし、ご丁寧に排水処理場のあたりから、皆楽しそうに飛び込んでゆく。昔は水も今ほど汚れていなかったからいいのかもしれないが、とても真似はできない。もしかしたら、それは香港人にとっても同じで、今日はじめてこの光景を見た香港人にとっては、理解できないのかもしれない。小さい頃から毎日此処で泳いできた人達にとって、そこは今も昔も変わらない場所であり、最近少し水が汚いな程度の事なのだろう。なんどもギョッとしてゆくうちに、私たちは「住めば都」と言うようになる。端から見れば狂気であることもままあるのだ。そうやって順応という名の一種の全身麻酔をかけられる。

はじめに感じた違和感は書き留めないといけない、貴方の価値はその違和感の中にある。

2009/12/22

香港滞在記 第1話 First impression


香港を離れるときには既に打ち込みが済んでいたものを

少しずつ小分けにしてアップしてゆこうと思う。
10年前に香港を訪れたとき、まさか自分が香港で仕事をするなんて思ってもいなかった。当時はヨーロッパ一周バッグパックの計画を控えていたので、その予行練習にと思って、手っ取り早く決めただけだ。しかも当時H.I.Sが起業した頃で、激安パッケージツアーにちょっとした自由行動の時間があるという極めて自由度が低い旅であった。現在は香港国際空港は新しくなり、市街からは離れた埋立地に移転されているが、当時の啓徳空港は市街地にあり、離着陸の際は、町の中を飛んでいるような錯覚に陥るほど、ビルの谷間を飛んでいたインパクトがあり、世界的によく知られていた。1998年この体験ができたのは、非常に貴重であったと思う。2008年3月24日、10年ぶりに降り立った香港の空港は当然綺麗に整備され、当時と違った印象を受けたが、香港の日差しだけは、当時の印象となんら変わらなかった。とにかく湿度が高く、蒸し暑いの一言に尽きる。海外駐在員というと耳障りがよいが、やることは日本にいるときと何も変わらない。ただ見知らぬ土地の見知らぬ風土で育った人達と仕事をするときは、いつもより慎重になるだけだろう。新しい環境に胸を膨らませたのは、ほんの1ヶ月程度だけで、後は厳しい現実との戦いだった。今でも脳裏に焼きついているのは、香港島にある店舗を見学したとき、トイレに什器やマネキンなどがぐちゃぐちゃに押し込まれてあり、BR(倉庫)は乱れに乱れて、唖然としたことだ。この光景を見た瞬間、何をしなければならないのかを肌で感じ取った。
全ては整理整頓からはじまる。