忘れないうちに打ち込んでおこうと思う。先日たまたま寝る前にテレビを見ていたらアメリカで成功を収めた資本家10人がアフリカの村に3週間滞在して、何ができるのか挑戦するという趣旨の番組を見た。使える金額は全員で300万円(寄付)、それぞれが人生で成功を収め、常に経営の最前線でやってきた人達の集団だけに考え方も自己主張も様々で、飢えでやせている乳飲み子を前に、これで何か食べものを買ってやってくれと「お金」を施すものもいた。さて自分が彼らの立場ならどうするかと思いにふけりながら、いつの間にか寝てしまい。番組も結局最後まで見たわけでないのだが、朝起きた後もそのことを考えていた。このような発展途上国の場合、魚を与えるより、魚の釣り方を教えるということのほうが遥かに大切だと言う。彼らの知恵を彼らの発展(経済)に結び付けられるような取り組みを3週間でするということが方針となりそうだ。片道1時間離れた場所へ毎日水を汲みに行くという状況に問題を感じ、村で直接水が汲めるように水道を引くという提案が彼らから出ていた。これはインフラ整備になるが、知恵を授けるという点からは目的を大きくはずれているということが理解できる。彼らの学校は土の上で座って勉強するというような状態で、机もイスもない。机とイスがあれば便利だが、それだけだ。私ができるとしたら、商売を教えることかもしれない。幸い通貨はあるのだから、お金を得る方法を、お金を得て食事に困らなくなるとか、生活が向上するというような体験ができるようにサポートすることかもしれない。300万円は、その付加価値を生み出すためのものの準備金に当てるかもしれない。たとえば家畜からミルクを取るとか、チーズを作って売るとか。彼らにお金を寄付するより、お金を産み出す知恵を授けるべきだと考える。あの資本家達は最終的に何をしたのだろうか。