2010/01/22

Google VS 中国政府



GoogleVS中国政府、もちろんインターネットの情報の検閲に関しての論争についてだ。Googleを代表とする欧米型の「自由」という考え方に基づいた内容のものと、中国のような言論の自由をコントロールしながら、経済成長を続ける新しい国の台頭という両方の意見を平等に取り入れている点が面白かった。どちらにせよGoogleの敗北というのは一理ある。中国から撤退することはビジネスチャンスを失うということも確かにある、中国で検閲をされながら、ビジネスを行なうことは、Googleが掲げる理念とかけ離れている。どちらにせよGoogleは代償を払うということになる。

争う者同士の視点だと確かにそうだとうなずけるが、私が一番考えたのは、ユーザーである中国国民のことだ。Googleなどの検索エンジンで自由に情報にアクセスできる権利を放棄するということは、コントロールされた情報の中で生きることであり、真実を見失う、知らないで生きる可能性を高めることとなる。そのような状況下で豊かな分厚い中流層を育むことができるのだろうか。つまり中国政府もその代償を払うことになる。私からすれば、自由に情報を得ることができるインフラを大いに活用して、世界で戦える人材を育める環境のほうが余程良いと思えるが、自由、自由と全て、自由にすれば、13億の人口と多数の部族を抱えるこの国が、どんな優秀な指導者がいたとしても、無法国家のような状態になるのは安易に想像できる。したくてもできないのが、お国事情だろう。実際、シリアスに考えても、とんでもないことになると思える。そして情報の空白は外から見ると、大きな弱点であり、井の中の蛙では、それはそれで不利。一旦外の世界に目覚めた蛙は外へ飛び出してゆく。優秀な人材が流出することを意味する。それに真実を知らないことぐらい恐ろしいことはない。こちらも十分な代償だ。

現状で、中国市場のシェアはBaidu(百度)が圧倒的らしいが、それはBaiduがデータの検索ができ、著作権を無視し、ダウンロードするのに優れた検索エンジンが、中国の国内ユーザーの需要とマッチしているからということだけで、記事にあるGoogleがシェア争奪戦や経営上苦戦した結果、撤退したい口実で中国政府に難癖つけているわけではないというのは素人の私でもわかる。もう1つ付け加えると、いくら検閲を強化したところで、賢明な人々ならば、その言葉を表現する違う暗号を使ったり、検閲をスルーする術を備えているものだ。そう考えるとGoogleVS中国政府が持つ真意とはなんなのか。話し合いは続いている。