2007/10/04

ルイ・ヴィトンの法則について


ルイ・ヴィトンというと、この本に出会うまでは、私の中でのイメージは小汚い格好した若者がデニムのポケットにねじ込んでいる財布や、髪もボサボサの近所の若いお母さんが見栄のためだけに肩からぶらさげているバッグなどが直ぐに頭に浮かんでしまい。
一度も欲しいとか、買いたいと思ったことがないブランドである。
もしくは水商売のご挨拶代わりのプレゼントとかそのような類のものだと思っていた。
パリの本店に宿で知り合った日本人に敷居が高いから同行してくれとお願いされて、テンガロンハットをかぶったまま、ロングコートでシャンゼリゼのメゾンに入ったときも、全く興味がなかったので、典型的なブランド大好きの日本人だな…なんて思っていた。確かに周囲を見渡すとアジア系の背伸びしている一見さんの集団が土産に押し寄せている感じがした。
接客をして頂いたマダムは日本人で現地に住んでいる方で、非常に品のある人だったことを記憶しているが、私のルイ・ヴィトンのイメージは変わっていなかった。
「日本人みたいに買いたくないし、持ちたくない」である。
しかし、この本に出会って、その奥深さと戦略を知ることとなり、もう一度足を運んでじっくり見てみたいと思うようになった。
この本の構成はマーケティングを軸に書かれている。
マーケティング戦略の基本中の基本である。
4P、つまりPRODUCT(製品)PRICE(価格)PLACE(流通)PROMOTION(販促)それに加えてBRAND(ブランド)の法則で綺麗にまとめられている。
店長職ともなると4Pは何かぐらいわかるが、それが戦略的にどうかなんて、なかなか考えたりすることはなかった。少なくとも私はまだまだ勉強不足で、それぞれがどういうことなのかは、理解していても自社と他社の戦略についてまで細かく検証したり、もしくは立案することなど皆無であった。
この本のタイトル通り、ルイ・ヴィトンを屋台骨とするLVMHグループ(モエ・へネシー・ルイ・ヴィトン)という巨大なコングロマリットブランドの経営手腕について書かれた本であり、そのラグジュアリーブランドのセレクティブ・マーケティング戦略が焦点となる。
私が勤める会社と言えば、マス・マーケティング戦略が基本的な戦略になるため、身近というよりは対極に位置する存在として大いに学ぶ点が多かったことと、実は視点を変えると、新しいマス・マーケティングやコングロマリットブランドの上手な経営手法というお手本ともなるべき本であった。
アパレル、FB業界におられる方は是非読んで頂きたいと思わせる1冊でした。
詳細は読んで頂くとして、私が特に関心したのは、
①ブランディングの大切さと難しさ
②顧客の要望とブランドの在り方
③妥協ない物作りの姿勢
④職人と経営の分業
特に顧客満足の源泉は商品と店舗と人材の3つの要素は誰でも知っていることであるが、何よりも原点である商品、物作りに誇りやこだわりがなければ、店舗と人材は活かされてこない。
しかしながら我々店長職を担うものからすれば、いい商品を活かすか殺すかは店舗であり、人材であるというのも現実。やはり全てが出揃ったときに、そのブランドは多くの顧客から支持されるのであろう。
物作りならば、エルメスのこだわりを是非感じてもらいたいと思う。
話はそれますが、私はいわゆるブランドというものをほとんど持っていない。
それは分相応を考えての事であり、興味もわかない。
車は5万円で中古車を友達から売ってもらい、腕時計はGショック
昔、建築営業をしている頃に支店長から教えてもらったことが2つある。
①億を計算できる桁数の電卓を使え
②契約書は億単位だからボールペンがゼブラじゃ駄目だ
特に②は、支店長のおっしゃる通りだ、人生でマンションと言えばデカイ買い物で一生のお付き合いになる。その契約書にサインを頂くときにゼブラじゃ申し訳が立たない。
営業マン失格である。
そんな私が所有しているブランド物で唯一こだわりの一品があった。
それはティファニーの銀のボールペン。
これは妻からプレゼントで頂いたものだが、通常ジャケットの胸にさしてありお客様のクレジットのサインで使うために携帯している。
以前、杉並や世田谷(高所得層)あたりの店舗で店長しているときは、ゴールドカードは日常茶飯事でプラチナが普通にやってくる。ブラックもちらほらやっていくるような環境だったときに、一番活躍していたのだが、プラチナ以上のお客様からクレジットでサインを頂くときは使うようにしている。
ささやかな私のサービスである。
それなりのステータスと知性や品格のある方へ最低限のおもてなし。
だからこそ日本人の、あのミーハーなルイ・ヴィトンの身に着け方はどうしたものかと考えてします。
世界の売上げの4割を占めているのだから、買われなくなったらなったで不都合かもしれませんが、それに見合う品格、知性、生活水準である人間が見につけて初めてお洒落だと思う。むしろ分不相応ならば持っている事自体が恥ずかしいと感じてもらえなくては困る。
欧米ではその辺、ちゃんと線を引くことができる意識が備わっているのになぜ?商売する側からすれば、このような状況を逆手にとって、アジアで商売をするときは、こういう矛盾や歪みを利用することがポイントなのかもしれない。
マスとセレクティブの融合によるマーケティング手法など考えてみたくなった。トレードオフの関係なら尚更、常識を覆す必要がある、見えない法則が潜んでいるかもしれません。
そういえば、海外研修で行ったNYで、思い描いたことがあった。
いつかはバーニーズNYのネクタイをしめて世界で活躍できるような人間になりたい。
3つ星ホテルの朝食を取りながら新聞を読んで一日をスタートさせたい。
いつかはクラウンという有名なキャッチコピーがあるが、これもブランドへの憧れを言葉にしたもので、みんなに夢を持たせるような言葉である。
そんなトヨタもブランディングについて、大衆車のカローラからクラウンまで様々な顧客セグメントを対象とした商品を取り揃えることにより、顧客のニーズは満たすが、ブランドという点では安定できずにレクサスを切り離してブランドイメージの向上と差別化を試みている。
コングロマリットブランドの難しさはブランドの安定も考えていかなければならないし、ブランドの位置づけもしていかなくてはならない、当然収益性の向上もである、非常に困難な課題なのかもしれない。
この本は、私に夢と希望を与えてくれた。
いつかはルイ・ヴィトン!取敢えずコーチからはじめよう(笑)