2007/10/03

1998年12月30日人生で一番長かった日

昨晩、妻と久々にロゼワインを飲みながら色々な話をした中で思い出したことの中に、人生で一番長かった日がある。
それは1998年12月30日から年明けまでのひと綴りの体験だった。
1998年12月30日、私は南フランスのリゾート地であるニースにバックパックを担いでたたずんでいた。初めて見る地中海の海の青さに興奮していたが、事態はよくなかった。
私の目的地はニースではなく、スペインのバロセルナであったからである。そのために地中海の海岸沿いをヒッチハイクで移動しようという無謀な行動を取っていた。
金も少ないし、腹も空いていたから選択肢が少なかった。
とりあえずマルセイユを目指して親指を立てていたが、一向に車はつかまらない。
ヒッチハイクはアイルランドにいた時によくやっていたので、抵抗はなかったが、ヒッチハイクで乗せてくれる人は少々難ありの人が多いのは事実である。
私の前に一台のオンボロ車が停まってくれた。彼曰く、フランスではヒッチハイクをやっても乗せてくれるひとは少ないというかいないらしい。
その理由は治安、見知らぬ人間を車に招き入れるほど、安全ではないし、臆病だということだ。
そして彼と意気投合した結果、彼は私にランチをご馳走してくれると言ってくれた(危ないなぁと感じつつ)早朝で空腹であった私は彼のご好意に甘えることにしてみた。
彼が彼と住んでいるフラットに案内してくれた。彼が会話中にルームメイトを「彼」と言ったのに私はピンと来ていたが、彼は同性愛者である。
恋人がいるのに見知らぬ東洋人をどうこうするなんて考えにくいし、話してみた彼の性格から悪人ではないなと踏んだんです。
そして彼の彼も帰ってきて、ランチになったんですが、昼からオーブン使って肉を焼いたり、なんとコース料理が出てきました。
前菜からはじまってメインまで、そして車の中でワインの話をしたんですが、彼の愛するロゼワインまでテーブルに並びました(結構高級な品と思う)
話はお互いの国のことについて、和気藹々のムードで(非常に緊張感は持っていましたが)、時間は過ぎていきました。時計を見るともう16時を回っている。
彼は泊まっていっていいと言ってくれましたが、私の中で、かの有名な注文の多い料理店のお話が頭を巡っておりましたので、有難く辞退しましたが、その後の彼の反応はややドライに、これはもしかしたら正解であったのかもしれません。
こうしてニースから車で郊外の田舎町に移動してしまい。そこで放り出され徒歩で電車の駅を夕方から探す羽目になりました。
イタリアのベネチアで歩き回って疲労骨折していた足が痛かった。
とっぷりと日が暮れて、田舎の駅でスペイン行きの夜行列車のチケットを入手して、ベンチで座って待っていると頬に傷のある若者がひとり私の前を通過、しばらくすると先程の若者が、もうひとり友達を連れて私の前を通過、夜行列車で田舎駅には私以外ひとはいない、嫌な雰囲気だと感じた。
そしてまた頬に傷のある若者が歩いてきた。またひとり増えている。
またひとりまたひとり、私が座っているベンチの向かいにもベンチがあり、頬に傷のある若者が座った順に合計5人、前3人、私に左隣に私の大きなバックパックを挟んで2人横に腰掛けた。
異常な雰囲気である。
私がバックを開けるふりをして横を覗き込んだ瞬間、隣に座っていた男の右手がジャケットの内側にある大きなアーミーナイフにいっているのが飛び込んできた(見えていた映像がスローモーションになっていた)次の瞬間にはバッグを盾にして5人が一斉に立ち上がって私を包囲しようとしたのを突破して一目散に人がいるタクシー乗り場まで逃げてきた。
人生で初めて死の恐怖を感じた瞬間であった。
タクシーの叔父さんたちに事情を説明し、近くの交番を教えてもらおうとしたが、タクシーの叔父さんはご丁寧に自分が説教してやると意気込んで駅まで歩いていった。
おかげさまで彼らは散っていったように見えたが、こっそり遠くからこちらの様子をうかがっているのが見えていたので、私は駅のホームが見える直線上でタクシー乗り場の辺りから、ずっと電車が来るのを見守っていた。
銀河鉄道999に飛び乗る哲郎の気持ちってこんなかな、電車に乗れないと結構やばい、走って飛び乗れるのかも心配だしなぁなんて思いながらじっと待っていた。
電車が来た!猛烈にダッシュして飛び乗ると、そこにも異様な光景が(苦笑)
あたり一面マリファナの煙だらけで車内が真っ白に霞んでいる上に通路も歩くのが困難なくらい人が溢れている。
「オーバーブッキング」を思い知らされた瞬間、私の指定席に10人ぐらいいたかもしれない(笑)
極めつけはこの電車の前半分はポルトガル行き、後ろ半分がスペイン行きであり、それに気づいたのは確か深夜2時ぐらい(既に12/31)、狭い通路で眠るに眠れない体育座りをコンパクトにした状態で長時間缶詰にされた、突然の車内アナウンスで人が動き始めたため確認すると、そういうことだった。
慌てて私も移動開始、そこで珍しい人物に出会った、それは1ヶ月半ぐらい前にベルギーのブリュッセルの安宿で出会ったポルトガル人が奇遇にも椅子に座っていたのだ。
お互い汚い挨拶を教えあっていたので、そこでも驚きとともに汚い挨拶をしてお別れをした30秒ほどの出来事だった。
彼が「スペイン行きはこっちじゃねぇ後ろだぁあばよ!くそったれ」と叫んでいたのが忘れられない。
そして夜が明けた。

大晦日のスペイン、バロセルナ。

朝から宿探しに明け暮れた。
瓶詰めのオリーブをおやつにしながらウロウロと町中を歩き回った。
文字通り全ての宿にコンタクトをしてみたのだが、三ツ星ホテルにいたるまで、全て満室である。
大晦日は新年を祝う人たちで大賑わいとなり、宿なんてありゃしないらしい。
いい教訓になった。
途方に暮れた私は、バックパックや貴重品など全てを駅のロッカーに入れて、手ぶら、小銭少々、それにビニール袋に食料をもって公園のベンチに寝転んで空を見上げていた。
寝不足であったし、精神的にも疲れていたし、今日もよく歩きまわったもんだ。
ふと冷たいものが顔に、雨が降ってきた。
神様がいるのなら、どうしてここまで追い詰めるのかと文句がいいたい気分だったが、このままではずぶぬれになる。
そこで国立公園内に潜り込んで木を探した。
ハックルベリーはご存知だろうか。木の上に住んでいたアイツが私の中での次のアイデアだった。
木の下なら傘代わりになるし濡れないし強盗などから身を守るには誰もいない木の上が一番と考えたからだ。
これは警備員に見つかり失敗に終わる(笑)あたかも観光客が迷い込んだフリをしてフニクラはどこですか?なんて質問をしたが内心クソッたれと思っていた。
万策尽きた瞬間だった。

次第に強くなる雨をまだ営業しているお店の屋根越しに眺めながら静かに野宿か、数日間(三賀日)は眠らずにいる覚悟を決めようとしていた。
そのとき閃いた!ここはバロセルナだから満室なのではないか?すぐに電話を取って比較的近郊だけど田舎町のホテルにかけまくった。
発見した。空き部屋がタラゴナという町にある。
予約を取るとすぐさま駅へ引き返し、ロッカーからバックパックを取り出し、電車に駆け乗る。
時間的にも深夜に町に到着することは危険だし、雨もどしゃぶりになりつつあった。
暗い景色を電車から眺めていると走馬灯のように今日1日の出来事が窓に映って流れていった。
タラゴナには黄金海岸がありちょっとしたリゾート地、コロッセオがあったり小さな町だが、正月を過ごすのには十分であった。
街路樹がバレンシアオレンジなのがなんとも素敵な気候なんだなと感じさせた。
一生忘れない、一番長かった1日はこうして幕を下ろそうとしていた。
テレビではユーロ導入のニュースが流れ、人々は新年を祝うために町に繰り出して大騒ぎをしている。
今やそのユーロはドルに変わってキーキャレンシーとしての世界での存在感を増すばかり。

ロゼワインを見ると思い出すあの日の自分。