2007/10/23

下流社会を読んで



内橋克人さん著:節度の経済学の時代




内橋克人さん著:悪魔のサイクル



三浦展さん著:下流社会



タイトルからして格差社会を匂わせていると思って手にしましたが、今日は公休日ということもあり、漫画を読むようにカジュアルに読んでみました。私なりに考えをまとめてみたので、ブログに記録しておこうと思います。下流社会とは確かに所得格差による上流だの中流だの下流だのと言うよりは意識面での下流社会ということにフォーカスして書いてありました。非常にデータ満載で上流の意識は何%、中流は何%、下流は何%というように最後の最後まで統計がずらずらと並んでおりました。数字アレルギーの人は吸収がストップしてしまうかもしれませんね。面白かったのが、男性では、ヤングエグゼクティブ系、ロハス系、SPA!系、フリーター系、女性では、ミリオネーゼ系、お嫁系、普通のOL系、かまやつ系、ギャル系とご丁寧に類型化して真面目に分析した内容を書き綴っている点。それも決して「今時の若者はどうしようもないな」なんて空気を押し殺して中立的に書かれている点が更に面白かった。

さて本題に入ろうと思います。

全体を通して最後の最後まで著者の真意を探りながら読んだのだが、なかなか確信にせまる文章が出てこなかった。本当に最後に著者の本音が出てきたので、そこに対して自分なりの意見をぶつけてみようと思う。この本を一体何の為に書いたのか。今や話題は下流社会なんですよ。なのか下流社会を改善しよう。なのか、下流社会に物申すなのか。最近は読書するときは必ず目的を探るようにしている。印象深かったのは著者が社会のシステムを説明するときに抜粋してきていた「ドラゴン桜」であった。P175抜粋「社会のルールってやつは全て頭のいいやつが作っている。そのルールってやつは全て頭のいいやつに都合のいいように作られているんだ。逆に都合の悪いところはわからないように隠してある。つまりお前らみたいに頭使わずに面倒くさがっていると……一生だまされて高い金払わされるんだ。だまされたくなかったら、損して負けたくなかったら、お前ら、勉強しろ」「お前らがガキは社会について何も知らないからだ。知らないというより大人は教えないんだ。そのかわり、未知の無限の可能性なんて、なんの根拠もない無責任な妄想を植えつけてんだ。そんなものに踊らされて、個性生かして、人と違う人生送れると思ったら大間違いだ!(東大に入れば)なんの夢もえがけねえ真っ暗闇から抜け出せるんだ」「カタ(型)がなくておまえに何ができるっていうんだ。素のまま自分からオリジナルが生み出せると思ったら大間違いだ!カタにはめるな!何てホザくやつはただのグータラの怠け者だ!」「ナンバーワンにならなくていい。オンリーワンになれだぁ?ふざけるな。オンリーワンっていうのはその分野のナンバーワンのことだろうが。」と長々と抜粋してきましたが、換言すれば、上流階層が政治も経済も自分達の都合のいいようにコントロールしているという現実。確かにその通りなのではないかと思う。どの本を読んでも、彼らの出身を見れば一目瞭然、ベストセラーも社会現象も、偉大な発明もほとんど全てが一握りの上流階層によって牛耳られている。我々中流階層以下は全てが上流階層によって搾取される対象でしかないのではないかという仮説が導き出せる。上流階層がコントロールする世界に我々は住んでいる。それが幸せなのか、不幸なのかはわからない。ルールがなければ全ては混沌の渦の中。世界は常に優秀なリーダーを求めている。つまり正真正銘、真のエリートである。ここで視点を換えて中流階層、下流階層の中から上流階層にあがる志を持った人間がいたとしよう。彼はこんな格差がある社会は駄目だ。世界の人々が笑顔でいられる平和な世界を目標として必死に努力した。その結果見事に上流階層の仲間入りをした。なぜ上流階層に仲間入りしなければならないのか。それは「ドラゴン桜」の一文にあったようにシステムを作るためにはシステムを作ることができるポジションまで登りつめなければならない。上に紹介した経済についての本も同じことだった。度が過ぎた市場至上主義による格差は人々を不幸に陥れている。これではいけないと内橋克人さんはおっしゃっている、凄くいい考え方だし社会とはそうあるべきだと感じる。だがなぜそれをわかっていてやってくれないのだと思う。経済学では超一級だし知識も経験もあるのになぜ。なぜ貴方は手をあげてくれないのかと思うことがままある。私が考えるところそんなに世界はシンプルではないのだと思う。つまり市場至上主義を打ち破るには市場至上主義のパワフルさの核心にいないといけない。その力を自分で操って強みと弱みを熟知する必要がある。つまりだ。その世界にどっぷり浸ることが最速で、仕組みを理解して変化させるポジションを取ることができるということではないか。ここで落とし穴がある。その核心に自分の身を置くという事は、市場至上主義の恩恵を受けることになる。果たしてその時、自分に都合よく働く仕組みを自分で破壊するだろうか。ミイラ取りがミイラになる。ドラゴン桜の例も同じ。中流階層以下の人間が努力の末、上流階層に食い込んだ場合、上流階層に飲み込まれ、自分に都合のいい仕組みを作る側になっていく。二度と戻りたくないからだ。そこには志もなにもない。というのはネガティブポジションで考えたこと。しかし上流階層の中の真のエリートは世界を導くのも事実である。

聖者か賢人のような人格で世界をあるべき姿へ導いてくれる選ばれし人間である。階層社会の定着は現実として受け入れることも必要で、できることなら生きることに困らない社会を実現させることが条件ではなかろうか。著者は本の中で大学を無料にしようというような提案をいくつかしておられるが、疑問なのは機会の平等を本当に下流階層が求めているかである。そもそも東大に入りたいとか、一流企業に行きたいという希望がないから現状のままなのであり、機会平等のものに学費免除をしたとしても誰も入らない気がしてしまうのは私だけだろうか。また下駄履き受験(つまり下流階層にはハンデの得点を与えること)などやっても無意味だと思う。世の中には悪どい人間も多いから少し頭がいい中流階層あたりの悪玉が下流階層(低所得階層)に頭のいい子供を養子に出して下駄履き受験で東大に入学させて戸籍を元に戻すなんて商売だって可能になる。十分ペイバックできてしまうでしょう。どうせやるなら入学は自由、卒業を難しくする。学校の成績によって授業料免除の比率を変化させて世界で活躍する人材には最終的に全額免除がいいのではないか。ただインターネットで授業を全て公開するのは賛成でる。日本がよくなる、世界がよくなる。先生と呼ばれる方々にはちょっと不安かもしれないが、評判のいい先生の講義は人気もあがるし、書く本も売れる(印税生活が好きな方が多いだろうし)逆もあるので、適当にやっている先生方には厳しい環境になるが、それが現実なのだから上流から降りてもらうことも必要かもしれません。結論、私は階層社会は現実として受け入れながら真のエリートを醸成していくこととともに生きていくのに困らない社会は実現すべきだと思う。健全な社会でないと健全な経営はできないのだから。ビルゲイツは未来の世界をどのように描いているのかな。



「ドラゴン桜」知らない方↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3%E6%A1%9C