2007/12/12

「好きを貫く」とは

「好きを貫く」とはで、WEB上で議論がなされていた。
「好きを貫く」は梅田望夫さん著書の「ウェブ時代をゆく」に書かれていたことなのですが、書評を書かれている方々のブログを読んでから自分なりに考えをまとめてみました。直接議論がなされているわけではないですが、同じ時間に違う場所でそれぞれが色々なことを考えて表現している。おそらくそれを実際はお互いに読んでいて、またそれについて考えを書き出してくることもあり、WEB上では、このような議論、それも私が足元にも及ばない方々から有益な思考パターンや知識、視点などが含まれた情報が溢れています。金鉱を探し当てていれば、物凄く勉強できる機会が多く、この機会を利用するかしないかで人生も大きく左右されると思います。

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20071209/1197232409

http://kaminaga-weyl.blogspot.com/2007/12/blog-post_10.html

それぞれの論点がなんなのか、違いはなんなのかについて考えてみました。
「好きを貫く」=拷問を考えてみると、その対象が、「好きでやる」⇒「仕方なくやる」⇒「やめたい、苦痛だけどやる」とシフトしてゆくことなんだなと思いました。この状態の場合、行動のインセンティブはなんなんだろうと考えたとき、行動のインセンティブ、つまり動機は、金やステータスなのではないかと感じました。ではもう一方は、「好きを貫く」=ライフスタイル?なのかなと感じました。つまり好きなこと、その対象が「好きでやる」⇒「好きでやることを意識しすぎて習慣になる」⇒「好きなことが人生の一部か人生そのものになる」とシフトしていくことなのではないかと思いました。ではこの場合の行動インセンティブはなんなのか、その対象との共存、一体化することが動機になっているのではないかという仮説です。言い換えると前者は絶対型で、後者は循環型、絶対型は明らかな行動インセンティブが外にあり、循環型は行動インセンティブが内にあるがゆえに、拍車がかかって没頭し、まるで空気のような存在まで好きな対象の存在自体が消える。そして、絶対型の解釈をされている方がおっしゃる「何者でもない自由」とはどういうことかも考えてみました。これも「好きを貫く」で考えられる内容だと思います。つまりその対象、「何者でもない自由」、「思考を拘束されたくない自由を謳歌する」、そうゆう生き方を好きでやるが循環型になっているように感じました。「何者でもない自由」とは、この世の中でのIDは個であることゆえのID、同化しない。常にバードビュー、非常に高い山の頂から俯瞰するような生き方なのではないでしょうか。それも「好きを貫く」ことの一種なんだなというのが、私の結論でした。
ステーキ好きが毎日ステーキを食べると1ヶ月したら飽きる。私は、3ヶ月間毎日昼食にカレーライスを食べていた時期があり、今は毎日うどんを食べています。もう3ヶ月ぐらいは経ってます。これはカレーやうどんが好きだからではなく、早く食べれて値段もリーズナブル、立地も近くて選んだ結果だからです。行動インセンティブは昼飯は10分で済ませて、残りの休憩時間は読書がしたいということだけの理由。つまり「時間が欲しい」が動機だったんです。こう考えると最近では欧米化が進んで毎食、米という家庭は減ったと思いますが、毎日米を食べていた日本人、毎日カレーを食べて続けるインド人、毎日芋を食べ続けるイギリス人の感覚は毎日食べて飽きるよねという話には及ばない。これは文化や習慣であるがゆえになされる結果なのだろう。ケーキが好きだから意識して毎日ケーキを食べていたら、それは飽きてしまう。「好きを貫く」とは好きなことすら限りなく無意識になってしまうことなのだろう。たまに食べる好物のケーキ。「好きを貫く」には色々な種類がありそうである。