正論ほど厄介なものはないと思う。正論は正しいがゆえに聞こえも良く、鮮やかなロジックにより完成された圧倒的な存在として頻繁に我々の前に現れる。正論はそれ以上何かを付け加えることも、反論することも馬鹿げていると言わんばかりに、目の前に立ちふさがる。そしてほとんど正論は何もなさないことが多い。正論は一見すると魔法の法則である。何でもかなえる不思議な法則のような姿をしているが、実際は何もかなえることができない不思議な法則であることが多い。正論を正論と気付いているならもはや耳を傾ける必要はない。過去から100回、1000回と繰り返し語り続けられた正論などでは、現世を渡りきることなどできやしない。本物の正論は白くすっきりしたものではなく、限りなくダーティーでふぞろいなものだ。不確実性な物事で溢れかえっているこの世に、そもそも正論などあるのだろうか。耳障りの良い正論を大演説しないよう注意したいものだ。