2008/11/13

秋空

秋の空のように清々しい気持ちで迎えた朝、この数ヶ月物思いにふけっていた苦しい状況から抜け出すことができた。香港の気温も随分と低くなり、20度そこそこで、ようやく秋らしさ、冬の匂いすら漂うようになってきた。今朝の青空は、本当に気持ちが良かった。昨晩は仕事が終わって3時ぐらいから、店舗の代行者とBARに行き、全てを忘れてしまいたいというぐらい、お酒を飲み、思いをめぐらし、自分なりに、けじめをつけることができた。人生の1つの場面が幕を下ろしたのを感じることができた。BARのお店の人のはからいで、10年ぶりにBARカウンターに入れてもらい、シェーカーやお酒を自由に使わせてもらった。私の大好きなSide carを作ってみたが、久しぶりにカクテルを作ることもでき、思い出に残る夜だった。私の人生でシェーカーは度々登場し、そして人生の一場面を印象付ける役割を果たしてくれている。Irelandに滞在していたときのクリスマスパーティーでミニBARをやったときも、多くの友人を持つことができたし、コミュニティの輪に入り、顔や名前を覚えてもらうことができたり、ホストファミリーへささやかな料理とお酒をふるまうことができたり、今夜もピカピカに輝く銀色のシェーカーが、私の記憶を刻んでくれた。悲しみや苦しみがはじけて消えた。私は私の人生の節目を肌で感じることがある。第2の人生はIrelandに渡ったときからはじまり、昨日で終わりを告げた。今日から第3の人生が始まった気がする。私の全ては、私を必要としてくれるひとのもとへ戻っていった。

2008/11/06

Up or Out

貴方が無能なことは、お客様には関係ない。

成果を挙げてあがるか、おさらばかという厳しい言葉だ。成果は顧客と企業へ還元される、それができない人材は退場せよということだが、実に贅肉を落としきった文章だと思う。このような組織で自分はサバイブできるのだろうか、ふとリアルに背筋が凍る。興味のある方は記事を。

過酷な環境と適応能力

少し前の記事になりますが、過酷な環境下では生産性が低下する。例えば長時間労働などについて、決して過酷な環境下でも、ハイパフォーマンスな人々は多々存在しており、ワークライフバランスのバランスの整合性を取らずに、なんとなく実践している結果、わがままな組織になっている、なってゆくのではないかという内容。

緩い環境から一転、厳しい環境に変化した場合、多大な摩擦が発生し、耐えられない者が悲鳴をあげる。生産性が下がるというより、放棄、あきらめに近いのではないかと思う。そのような人々は、既に人生の消化試合に入っている。不毛な時間の垂れ流しと、不平不満のくそまみれだ。勝手にしていればよい。人間は飛躍できるし、飛躍できないのもいる。

私達が好むにせよ、好まないにせよ世界は絶えず変化する、激変することもある。厳しい環境から、更に厳しい環境に変化することだって多々ある。結局ワークライフバランスとうのは真っ白なキャンパスに自由に理想を描くというより、現実に直面している環境の中で、必死にやりくりして、なんとかしてゆくしかない、時間で調整ができないなら、たった1時間でも、幸福感に満ちた時間の使い方をするというところでバランスを取るしかないわけではないか、と私は考えている。つまりは量ではなく、質の問題だ。

2008/11/05

リッツ・カールトン20の秘密


リッツ・カールトンと言えば5つ星ホテルとして、最高のサービスを私達に保証してくれている有名なホテルだが、クレドと呼ばれる信条が書き込まれたカードを従業員が全員所持していて、常にその原理原則に基づいて個人ができる限りのサービスと感動を顧客に提供できるような組織や仕組みが確立されていることでも、よく知られている。改めてサービスとは何かを感じることができる1冊である。難しく考える必要はない。ひとりの人間として相手に自分が、どんなことをしてあげられるか、思いやりや気配りを持てるかどうかということだけなのだが、それを全員が実践できることが素晴らしい、サービスは人に強制されて、できるものではない。それは単なるうわべだけの行動で、そのような薄っぺらいサービスでは、おそらく私達自身、感動をおぼえることはないだろう。だから心底難しい課題だと思っている。この国でも、極たまに見かける奉仕精神溢れる人材、とても活き活きしていて、こちらが気持ちいい。

占い

私は占いを信じないが、占い師には人の進む道に影響を与える力があるとは思っている。相当前に読んだ「The seacret」という本、引き寄せの法則は、つまりは、頭で描いたことを実現するための第一歩で、鮮明にゴールをイメージして、それを実現させるために何が必要かをブレークダウンしてくる力と捉えることができる。実際私も仕事で引き寄せる力を強烈に活用している。占い師は、悩める人の状況を洞察して、ある程度の方向性を示す、または単純に相談相手とも受け取れるが、占いを求める人の状況をなんとか的確に当てようと考えている占い師は詐欺師かペテン師の域を脱しない、しかし、ある一定のラインを越えてくると占い師は自分の、予言、予測を狂気的に信じ込むことにより、ある種の引き寄せの力を相手に発揮しているのではないかと思う。人生の悩み事など、ほとんど仕事か、家族か、恋愛か、誰でも容易に想像つくものだが、強力な言葉のシャワーで人の歩く道は多少なりとも、いや意外に大きく変化しているのかもしれない。皆さんは占いを信じますか。こちらでは「占ト」という表示を見かけます、西洋式、東洋式(中国式)色々あると思いますが、たまには人(占い師)の意見を聞いてみるのもいいかもしれませんね。

甘い人生


この2週間は家族が香港に滞在していた。仕事も忙しく、現実的な問題を多々突きつけられた日々だった。私は、人生に迷っている。人は人生のうちで何度も、岐路に立たされる。イビョンホン主演の映画、「甘い人生」といっても、Bitter Sweet Lifeだから、甘いだけではない。どちらかといえば人生は苦味の方が際立つ、苦味が強ければ強いほど、甘みを一層引き立てるのではないか。ビターの象徴、濃いエスプレッソに砂糖をドット入れ飲み干すと、ほろ苦さと濃厚な甘みが鼻をつきぬける。それはまるで人生のようだ。私は人生に迷っている。自分はどうすべきなのか、ふと頭に浮かんだ映画だった。悲しみや苦悩と一瞬の華やかさ、未来への不確かな希望とが入り混じって、ひどく気持ちが揺れる。