2007/08/31

バカの壁の壁は井戸の壁だった。






ずっと気になって知ってはいたが読まなかった本の1つに「バカの壁」がある。
今朝は簡単にバカの壁について書こうと思う。
著者、養老孟司さんはこう説く。
人間にはバカの壁が存在している、つまり井の中の蛙である。
井戸に落ちる、住むというより蛙が井戸をせっせと作っているイメージ。
わかったつもりがわかっていないということや意識と無意識など様々な二元論で話をまとめている。
人間はほとんど二元論の中で生活をしており、2つの天秤のバランスを取るという不安定さの中で生きている。不安定さゆえに、ついつい一元論という楽な方向へ流されてしまいかねない。
その通り、全て明確で決まりきっている絶対的な何かに基づいて生きるということは楽である。
反対に現実はそんなに何でもはっきりしていることなどない不確定な世界、それゆえ人間は悩み、考える、それは自然なことであり、受け入れるべきである。ということ。
全体を通して2つ私の考えとズレを感じる点があった。
著書で、個性は脳でなく身体に宿っているという言葉があるが、私はこのように考える。
①イチローはイチローの体が個性でマネできないというが、イチローの身体能力(養老さんは個性と読んでいるもの)を開花させたのは彼の脳である。ポテンシャルを覚醒させたのは、彼の脳であるから脳が個性の一部でもあるのではないか。
②全ての事柄は静と動で現される。動、つまり行動のルーツは意識や思考であると考えることができる。よって個性とはバリエーション思考ということはできないだろうか。
という2点が著者と私の考え方の微妙なズレだと感じた。もちろん、私より遥かに素晴らしい個である。
養老さんの方が信憑性が高い気もしますが、養老さんが求めていることは、私のように自分なりの意見や考えを持つことに意味があるということだとメッセージを受け取った。
自分の意見を言えるということは、しっかりと考えた上でのアウトプットでありインプットもしっかりとなされている、私は他と自分の二元論のバランスを取ったことになるのかもしれない。
ここで1つ面白いというか考えさせる内容が、この本ともう1冊過去に呼んだ東大式情報学という本の中に一致している内容と相反する内容があったので書き留めておこうと思う。
共通項はオウム真理教による事件である。
この事件について両氏ともに同じ感覚を持っている。それは本来自分達が未来へ導く学生が間違った方向に流された結果、事件を起こした側に入っていたこと。
それも優秀で世界でもトップクラスの才能が堕ちたわけを相当考えられていることである。
それは指導者として衝撃的な事件であったこと、それをなんとかしたいという思いがそれぞれの本の中にも見ることができた。
不思議なのは、同じ方向を向いてはいるが、それぞれの本の中に出てくる「知の技法」については、肯定派と否定派になっていること。
人間とは本当にアプローチが様々なんだと感じさせるものでした。
面白いですね。


2007/08/29

10億円あったらどうするのか?

昨晩は棚卸のため、21:00出勤、翌朝9:00までバリバリと働いた。
その休憩時間、部下とこんな誰でも何回かは話をする内容について、ちょっと発見があった。
10億円あったら、3億円あったら何をする?である。
発見①規模が大きすぎると漠然とした内容になる。ということで我々はオークション式で下からあげていくという方法に変えてみた。
10万円あったら何に使う?
但し貯金という安易な答えにならないように、軽く条件を、使い切らなければならない条件つき。
部下は、バイクが欲しいと答えた。
私は、本棚5万円と本5万円分
30万円あったら何に?
部下:バイクとベース(ちなみに彼はギターを弾く)
私:腕時計のちょっと気が利いたやつ
50万円あったら何に?
部下:イギリスに旅行(1~2週間)期間をせばめることで少しリッチな旅行をしたいそうだ。
  なぜイギリスかはロックとファッションということである。
  ロックはいいが、ファッションはロンドンぐらいで後は目も当てられないけど(笑)
私:粋な小物をたくさん買う(ボールペンとか名詞入れとか)
100万円あったら何に使う?
部下:想像できない
私:金塊(と言っても小さいか…)を購入
ここで浮き彫りになったのは、人間のモノサシの長さと等身大、リアルな自分である。
本当に相手を知りたければ、10億円をたずねるより、10万円が個性に現れるということ。
真夜中のちょっとした発見でした。
部下には10億円まで即答できるようになって欲しい。
おそらく、その額面の規模をはっきりとイメージできるということは、ビジネスマンにとっては大切な肌感であると思う。
以外に深い、この質問でした。

10億円あったら企業というのもいいのかもしれない。
どうせ使いきらなければならないなら全額突っ込んで無くなっても晴れ晴れでしょう。

ドーナツ化現象

休日に家族で買い物がてら昼食をリンガーハット(長崎ちゃんぽん)で食べた。
リンガーハット自体は昔から知っていたが、利用しはじめたのは昨年あたりから、はじめて食べて、こりゃ旨いと感じてから野菜もたくさん入っているし味は自分好み、そもそもラーメンが好きだから、文句なしにロイヤルカスタマー?になった。
うきうきでお店に入りメニューを眺める。
見慣れない、「つけめん」の文字が目に留まり、これは一度ぐらい食べてみるかと決断。
オーダーして暫くすると、パートのウエイトレスさんがやってきて、
「つけめんはございません」の一言。???
「つけめんは売り切れですか?」(しまったそんなに旨いのか!?)
「いえ先程のメニューが間違えて掲載されておりまして・・・」
こちらをどうぞと違うメニューを差し出されたが、やっぱりデカデカとつけめんが載っている・・・
つまり期間限定でもう終わってしまったことだとわかったので、定番のちゃんぽんを注文した。
しかし、後ろの壁にも「つけめんあります。」テーブルの上にも「つけめんオススメ」隣に座った客のメニューにも、つけめん載ってます。
販促物エラーだな(笑)

次に考えたのが、店長は何をしているのか。店長は管理していないのか。
それらしき人物は見当たらない。
そこから、ちゃんぽんが運ばれてくるまで考えた。
なぜ?こんな初歩的なミスが発生しているのか。軽く店舗チェックをしてみました。
①クリンリネス低下:一ヶ月ぐらいは窓枠を拭いていないため、蚊がひからびている
②サービスレベル低下:店員はこちらを全く見ていない。
①と②は明らかに店長の責任だと思ったが、それ以外で何かないか。
おそらく人件費の問題と、ホールの顔ぶれから求人難による人員不足あたりが原因ではないかと検討をつけてみた。
ではなぜこうなったのか?を更に美味しいちゃんぽんをすすりながら考えてみた。

それは、ドーナツ化現象である。

ドーナツ化現象なんて久しぶりに耳にしたと思うが、社会の授業で出てきたドーナツ化現象である。
ドーナツ化現象とは、大都市の中心部の居住人口が地価の高騰や生活環境の悪化などのために減少し、周辺部の人口が増大して人口分布がドーナツ状になる現象である。

実はこれが社会構造になっているのでは、という仮説をここで紹介したい。3Kという言葉をご存知だろうか、きつい、きたない、きけんの頭文字アルファベットのKを取って3Kである。私が言いたいのは、この3Kという仕事を中心にドーナツ化現象が起きているのではないかである。

3Kの仕事というのは、よくよく考えると我々社会に取って不可欠な仕事、最も必要とされる仕事で、なくならない。できれば誰もやりたがらないけどニーズは物凄く高い仕事なのである。

この3Kを中心に社会は大きな円を作っている。できることなら外側にある。あまりきつくなく、そこそこ楽で稼げる仕事、融通のきく仕事(時間的にも、能力的にも)へ外へ外へと力が働く。当然中心は空っぽになっていくが、絶対に誰かがやらねば成り立たない。外側にいる人は美味しい仕事の奪い合いをする。そこからあぶれた人の中には潔く中心の3Kへ入る人もいるが、中心には入れないが外にも居場所を見つけることができないと、ただ、その場を漂うだけとなる。

現実問題、共働きの家庭が多いと思うが、人気のある外側の仕事がないと片方が稼がなくてはならなくなり必然的に長時間労働、なんとかしてバランスを取って生計を立てているがために、朝から晩までなんとか働く、稼ぐ、ワーキングプアとまではいかないが、ひたすら走る毎日が続く。

1週間びっちり働いて、絶対にやらなければならない用事を片付けたら人間らしさを取り戻す時間を求める。とにかく忙しくて時間がないものだから、休みのほんの束の間に洪水のように安売りやお手軽レジャーに人々がなだれ込む。これがひっきりなしに繰り返される。

肝心の格安や手軽なレジャーは円の中心だから担い手不足でフル回転。日ごろは、こんな過酷な条件の中で必死にサービスらしきものを提供する側が、休日にもなれば、今度は自分が提供できるサービスレベルを超える要求をつきつける。これではお互いが削りあっているようなもの、社会は疲弊し活力は奪われる。

どうしてこんな社会になってしまったのか。昔はこんなはずじゃなかった。正月が私たちにはあった。今はそんな遠い記憶呼び戻すこともできない。確実に社会は変貌した。

累進課税とは、たくさん稼ぎのある人にはたくさん税金を少ない稼ぎのひとには少なく税金をもらう。確かに不服もある。だからといって、現在がいいかといえば間違いなくNoである。

市場至上主義は日本をこのように変えてしまった。僕らにできることは何なんだろうか。

第一歩はお互いがお互いを労る精神である。忙しいウエイトレスさんに簡単なお手伝いをしてあげようじゃないか。皿を重ねてコンパクトにしてあげればいい。できることからはじめないといけないのではないか。お金を払えば身分が上ということではない。同じ人間、食べ物を作ってくれること、運んでくれることに感謝しようじゃないか。

We are the champ-pon ウィ-アーザ・チャンピョンと掛けているのか、カラフルなちゃんぽんちゃんがポスターとして貼られていたが、私にはセピア色に映った。

2007/08/28

ポーの研究

面白い記事があって、つい興味をそそられて調べてみました。

http://www.tez.com/blog/archives/000975.html


「ポー」の研究?(笑)

この方、休暇で飛行機に乗ってポーランド上空を通過したとき、奥様と上空から見下ろしたポーランドがあまりにもずっと同じ茶色いストライプ模様が続いていることから、ポーランドはポーな大地だからポーランドなのかしら的なコメントをしていらっしゃいます。
ちょっと吹き出してしまいましたが、ポーなランドでポーランドのポーの正体がなんだろうと気になりましたので、調査開始。

ポーランドは、ヨーロッパの中央部に位置し、面積は日本の約5分の4の大きさで、その大部分はなだらかな平原が広がる恵まれた国土となっている。ポーランドの語源となる"ポーレ"とは、平原という意味だからポーランドであり、ポーなランドは正しかった(笑)

農業は
ポーランドの農業は第二次世界大戦によって壊滅的な被害を受けた。農地の1/3が失われたことはもちろん、豚の5/6、牛と羊の2/3が殺されている。

さらに主要な農産地が戦後、ソ連の領土となったため、農業の集団化政策を通じて復興した経緯がある。
ポーランドは21世紀の現在も農業国である。国土面積のうち、農地の占める面積は42.1% (2003年、以下、United Nations Statistical Yearbook 2002による)に達し、農業従事者は407万人である。ただし、労働力人口に占める農業の比率は、1948年時点の53.5%に比べ、1991年には26.7%まで低下している。
国土が温帯と冷帯の境界に位置すること、降水量が少ないことを反映して、麦類の栽培が盛んである。中でもライ麦の生産は世界第2位(336万トン、シェア21.7%)、えん麦は世界第5位(131万トン、5.5%)に達する。

つまり農業大国。

鉱業
ポーランドは鉱物資源に恵まれた国である。石炭を中心とした有機鉱物資源、亜鉛といった重要な非鉄金属が豊富なことが特徴である。
有機鉱物資源では、世界シェア第7位(2.8%)の石炭(1.0億トン、2002年)と、燃料などに用いる亜炭(同7位、6.5%、5955万トン)が豊富である。可採埋蔵量は石炭203億トン、亜炭19億トンであり、枯渇の心配もない。ヨーロッパではロシアに次いで石炭が豊富である。少量ではあるが、原油(77万トン)、天然ガス(162千兆ジュール)も採取されている。
金属鉱物資源では、世界第8位 (6.0%) の鉱(1200トン)、同9位 (3.7%) の銅鉱(50万トン)、同9位 (1.8%) の鉛鉱(5.3万トン)、同10位 (1.8%) の亜鉛鉱(15万トン)のほか、金とマグネシウム鉱を産出する。
そのほかの鉱物資源としては、イオウ(122万トン、世界シェア2.1%)と岩塩(420万トン、世界シェア2.0%)を採掘する。岩塩の採掘孔はヴィエリチュカ岩塩鉱(マウォポルスカ県)など観光資源としても活用されている。

土の色は、このような影響を受けているらしい。

だからあんな大地みたいです。

ということでスッキリしました。

追記)

私でもポーランドで知っていることがありました。それはバーテン時代に知ったのですが、スピリタスというウォッカでアルコール度が確か97%ぐらいある強烈なお酒です。通常スピリッツという酒は、例えばジン、ウォッカ、ラム、ブランデー、ウィスキー、テキーラなどは40%そこそこですが、それの倍以上というのは、ほとんどエタノールをダイレクトで飲んでいるような物(笑)

私の知人に半アル中状態で、入院した方がどうしてもアルコールが飲みたくて院内にある医療用エタノールを飲んだツワモノがおりますが、メタノールだと失明するので飲む機会があったら注意してください。

またよくテキーラは強いとか、ウィスキーはやばいとかアルコール度に差があるような表現を使う方が多いのですが、アルコール度で言うと大差はありませんが、スピリタスだけは倍あるので注意してください。

ダブルストレートで2杯一気すると体の構造がわかります。興味がある方は是非トライ。この文章の意味を理解するにはやってみるしかないですがオススメはしません(笑)


残業するな前業せよってことは


先日、9月から新しく上司になる方と面談があり、
なんでもいいから質問はありますか?の問いに
最近読んだ本で一番印象に残っていてオススメの本を
教えてください。
に対して、残業はするな、「前業」をせよ!著:久恒啓一さん
宮城大学の教授だそうだ。
前業とは、前始末、要するに仕事の前に、準備をしておくこと。
残業とは、後始末、また夜型より朝型という意味合いも込めていると
思うが、根拠、根底、根本的に考えると、もっと深いところに
著者が言いたいことが隠れているのかとも感じた。
なぜなら
導入部分では、確かに朝、出勤前に出社してから、仕事の前始末だとか、出社前の通勤途中の時間の活用なんてことが書いてあるが、本編は、ビジネスマナーというか、仕事に対するスタンスが圧倒的要素を占めており、読み進めるうちに、あれ?あれ?あれ?タイトルと内容の乖離を感じた。
そしてそのままエピローグまでダダダダダッと終わってしまいました。
そこで、
私なりに残業するな前業せよを書くならこんな感じに書き出すかなと、まとめてみます。
まずタイトルの残業は、そのまんま残業であり、無駄な時間とか生産性が低いという印象を受ける。
前業は出勤より前にする仕事だから印象としては攻め、積極性、集中力アップで生産性向上と言うことなしというのが見た目の感想。
朝型と夜型は朝型がいいと多くの人が言うが、そんな根拠はどこにあるのだろうか。
前業=朝型、夜型よりも絶対いいは成立しない。
低血圧の人だっているし、スロースターターだっている。
私は完全に朝型であり、それは自分が一番良く知っているから自分の脳みそが最大に回転する時間に合わせて時間調整や仕事をスケジューリングすればいい。
私の場合は11時あたりがノリノリで15時が一番スローダウンする。15時に計画業務は絶対に駄目。
体を動かすもの、フットワークを要するものが最適である。
前業=早く出社する
これは時間的なアドバンテージ、インテリジェンスについてのアドバンテージである。
孫子も言っていたと思うが、戦場へは先に到着したものが、戦を優位に進めることができる。
つまり社長、部長、ブロック長、地区長、(店長)と階級が上位な人ほど戦場へは先に入っているのが、よくわかると、新しい上司はおっしゃっていた。
そうするとポイントは上司より先に物事を把握し準備しておけばいいということになる。
前業=早く出社=誰もいない=集中できる
同じ時間でも雑音が多い(同僚や上司、部下がいる)環境では集中力を欠くことがほとんどで、下手するとイレギュラーが発生し妨害までされることになる。
だから誰もいない静寂の中で集中して仕事の整理をすることは生産性が高い仕事するのにはもってこいなのだ。
これはどうなのか、つまり誰もいないと集中力を欠くとか、生産性があがらないのは、弱点になりうる。
理想はどんな状況下でも集中しバランスを取りながらスピードを落とさないようにこなすことである。
そこで集中する時間(コアタイム)が持てれば仕事の速度は加速してゆく。
それぐらいの工夫はできるはずである。
前業、前始末するには何が必要かも問う必要がある。
それには、目標設定と逆算である。
前始末できるひとは先に何があるのか理解している、嗅ぎ取っている、見えているから前始末ができる。
前始末すべきことや方法がわかるのである。
どうすればそうなれるか、それは自らの時計を進めてみるだけでよい。
そしてイメージすればよい。そこに何が起こるのか、何が必要になるのか、どんな障害があるのか。
擬似的に仕事の時間軸を未来を移せば、前始末すべきことが見えてくる。
先が見えたら現在へ戻ってくればいい。
戻る途中で足跡をつけてくればいいだけである。それが逆算するということになる。
着地があれだから今と着地の間はこれだ!と気づけることができればいい。
朝起きれない人のことを考えてみる。
低血圧などの健康状況などを前提条件に据えなければ、
■明日は朝一番で会社へ行く。
■明日は朝早く起きる。
■明日は早く起きるから、今日は早く寝る。
■早く寝るには、早く晩御飯を食べて風呂に入る。
■早く帰宅するには、定時で仕事を終わらせる必要がある。
■早く仕事を終わらせるには昼までに資料を仕上げる必要がある。
■昼までに資料を仕上げるには朝一番で上司から情報を受け取る必要がある。
というように実は全て連鎖している。
起きれないひとは目標設定から逆算してきていないために、きっと寝る間際で、
あっ明日は早いからもう寝なくちゃ程度なのではないでしょうか。
前業という点では、これぐらいで十分ではないかと思う。
では残業については2つタイプがある。
①仕事処理能力が低くて仕事が終わらない。
②仕事処理能力が高すぎて仕事が終わらない。
①は頑張りましょう。
朝から晩まで働いて早く仕事ができるようになるしかないです。
この本は残業の原因がわかっている人が読むといいですが、なんで残業してしまっているか、わからない人が読むと不幸になる。
朝からはりきって出てきたけど、結局仕事が終わらず、残業するので、働きっぱなしになる。
自分を見つめなおすために朝の時間は自問自答か、残業の原因について考える方がいい。
②がなんで残業する人物なのか、ピンとこないかもしれませんが、処理能力が高いと先に見える仕事がよくわかっているので、それもやっておこうと手を出します。そうするともっと先にあることも、よくわかっているので更にできる限り仕事を前に吸い込んでしまおうとするのです。
そしてある程度できてしまう、スピードと能力を持っているので、仕事の無限ループにはまる。
解決方法は、仕事は半歩前と決める。
仕事を大幅一歩でやっても誰もついてこないし、最悪計画や方針が修正されてしまい。
努力は水泡と化す。
だから半歩先で一旦様子を見ることがいいと考える。
居合いの構え。
前始末として仕事全体の整理をしてリストアップ、
■緊急度
■重要度
■頭を使うが短時間でできるものと
■頭を使ってある程度時間を要するもの
■単純業務で短時間でできるもの
■単純業務で時間を要するもの
などのカテゴリーで優先順位と所要時間を算出する。
後は自分のスケジュールと全体(チーム)のスケジュールとバランスを取りながら、
リストアップされた項目をパズルのように時間を割り当ててゆく。
時間のセクションは3つ
■朝~昼食まで
■昼食明け~夕方休憩まで
■夕方休憩~退勤まで
それぞれ朝・午後・夕方の3つの枠がある。
この枠に優先順位をつけた項目を投げ込んでゆく。
私の場合、朝の枠が一番、頭も回転が良く、集中力も高い
       午後の枠は、眠気もたまにあるので、頭を使わないもの
       夕方の枠は、部下の仕事の確認やイレギュラーが発生しやすいが集中力は戻る。
この特徴をつかんで当てはめてゆくが、計画通りにはいかないこともある。
急な電話や上司の入店など理由は様々だが、それが当然の日常なので、なんとも思わない。
ただ、投げ込む枠と項目を入れ替えるだけである。
これは、タイムスロットマネジメントの考え方を取り入れた私の仕事術である。
所要時間と仕事の特徴によって、枠に入れるものをどんどん入れ替えてしまうのである。
タイムスロットとコアタイムは試してみる価値はあると思います。
前業、つまり前始末するには、何が必要か、目標設定と逆算
残業しないためには、前業、コアタイムとタイムスロット
それでそれで、残業するな前業せよって何でそうしなくちゃいけないの?
目的は給料泥棒するな社員諸君ということ?(笑)
でも本の内容は仕事のスタンスについて、書かれているため新入社員にはいいかもしれません。
そして、この方、図解で物事を表現するという面白い個性の持ち主ですので、ブログは時間があったら覗いてみるといいかもしれません。

2007/08/27

東京タワー

先日、首都高速を利用したときに六本木ヒルズと東京タワーを通過した。
改めて人間はこんなものを良く作るなと関心しました。

東京タワーと言えば、最近目にした記事に「新東京タワー」という興味深い内容があったのを思い出したので、ちょこっと書いて見ようと思ったわけです。
新東京タワー、正式名称は、新タワーで東京タワーを作った会社とは別会社が事業主である。
新タワーの建設予定地は墨田区押上、高さ600メートルなんで、東京タワーの約2倍近い、高さについては、日本一。
問題はこのドデカイ建設物の影響で、東京タワーからのアナログ波(現在、関東一円をカバー)が遮断されてしまうこと、それについても莫大なコストが掛かってしまうため、あれやこれやの大問題を抱えた一品である(笑)

作る意味あるのか?を突きつけられた、この無用の長物に私から駄目押しの提案。

レアメタルという言葉がある。
レアメタルとは、簡単に言うと地球上に少量存在する貴重な金属類で、有名どころだと金です。
この金は単にヤクザな人たちが愛用するネックレスとしての需要というよりは、例えば携帯電話やパソコンなど精密機器に使用されており、ハイテク産業、現代にとっては、このレアメタルなくして何も成り立たないぐらいの価値がある。

携帯電話を溶かして金を分別すると実は金鉱を一生懸命掘り進むより効率的に金の採掘ができてしまうという話もあるぐらいだから面白い。

こちらに興味があるのなら

「千年、働いてきました」野村 進 角川oneテーマ21 に書いてあります。

いや事態はかなり深刻で、詳しくは下記の記事をご覧ください。

http://www.sankei.co.jp/keizai/sangyo/070819/sng070819000.htm

そこでピンと来たんです。
新タワーはレアメタルで作ってください。
せめて大切な資源の備蓄になります。
そんなの無理か(笑)

2007/08/26

ブログと私について

最近ブログを読む機会、検索する機会が増えて感じることがある。
それは、情報(ブログ)の存在の仕方が2種類あるということ。


①オープン性
②クローズ性


①については、例えば梅田望夫さんのように貴重な考え方や情報をブログ上にアウトプットしてしまう。
誰でもその気になれば、24時間何処にいようとも、その情報にアプローチすることができる。
RSSなどを利用すれば、非常に容易に情報収集ができる。
②については、大前研一さん、ネット上、あちこち探してもまとまった情報源はなく、方々に散らばった情報をかき集めるのに非常に労力を要する。
情報入手で一番手っ取り早いのが、メルマガの購読、著書を購入などお金を払って仕入れることである。

①はオープン性により付加価値を高め
②はクローズ性により付加価値を高めている気がする。

①の収益構造のイメージはこんな感じである。
有用な情報や視点を無償で全世界の人々に発信し、自分と言う存在をより多くの人に知らしめる。
そこでプラットホームを築き上げ、この人物が書く本は面白いに違いない。
絶対買うべきだ。講演は絶対に聴くべきだという後から収益構造がついてくるイメージ。
②については、入り口の所から情報の囲いこみをして、やっぱりそんなに凄い情報はお金を払わないと手に入らないのだ。というような入り口から収益構造が成立しているイメージ。

これって何かに似ている。
それは、プライシング(値段設定)におけるスキミング・プライス政策とぺネトレーション政策。
スキミング・プライス政策は①
ぺネトレーション政策は②
要するにスキミングは、はじめ高めの価格設定をして差別化をはかり、市場への浸透に合わせて段階的にプライスを下げていくもの。
ペネトレーションは、はじめから低めの価格設定をして、市場に一気に浸透させて優位性を確保しようというもの。

そして、また同じようにグーグルという企業も、オープン性の戦略に長けており、最近で言うと、ユーチューブが上記のような話と類似性があるように感じる。
ユーチューブのような機能は便利で楽しい、それは全世界が認めると思います。
だから皆が使う、無料で使えるなんて、素晴らしい話である。
無料だからこそ爆発的に広がっていく。
これは正に②のオープン性と浸透力の賜物。
そして最近リリースされたのが、このユーチューブの映像の下に半透明の広告が暫く表示される広告サービスが導入された。
広告と言っても検索したキーワードに関連のある広告だから、ユーザーにとっては探している情報に近いものになるため、そんなに苦痛を覚えることはないと思う。
そう、収益構造は後から付いて来たことになる。

話は相当脱線してしまったが、
ついでに携帯電話についても、日本では料金プランで話題がことかかないが、視線を外に向ければ、アップルのiPhone は6月に米国で発売されて話題になった。
そして先日は、グーグルによるg phone構想が明らかになった。
特にグーグルについては、その動向が楽しみであるが、もし私がグーグル側の人間なら、無料で携帯電話を日本国民全員に配布して、電子マネー、クレジット、デビットカードなど万能に対応する機能と現在、グーグルが所有している優れたコンテンツ、面白いところだと家計簿機能
DSで家計簿ソフトがバカみたいに売れているが、電子マネーで買い物すれば明細も入力不要で携帯電話内で管理できる優れものを搭載させる。
爆発的に普及してドコモ他競合他社を駆逐してから収益構造をつめていくという戦略を取る。
現実、電波権など難しい問題はあると思うが、オープン性を武器にすれば可能なのではないかと思う。

本題に戻るり何がいいたいかというと、我々店長職についても同様にオープン性とクローズ性は身近なものなのである。
よく聞く話ですが、優秀なリーダーが率いるチーム、優秀なのはリーダーだけの個人プレーチーム?で優秀なリーダーは自分の知識やノウハウを自分の内側に囲いこんでいることで他者との差別化を行い。自分の付加価値を高めてしまう現象。
この優秀なリーダーはどこへ行っても成果を出すが、そのリーダーが抜けた集団はいつも弱体化していく。
最強の個と烏合の衆である。

一方オープン型リーダーシップというものは、簡単に2つの要素。

①自分の知識やノウハウを全て部下に分け与え自分をコモディテイ化する。
②自分の能力をコピーさせた上で部下の強みを伸ばすことで自分を超える部下を育てること

だからと言ってオープン型リーダーシップは廃れるわけではない。
①の状態になると更なる差別化を目指し、そのリーダーは進化を遂げるはずである。

クローズ型のリーダーシップの罠は組織する集団が大きくなったときである。
アクセスがリーダーに集中することでパンク状態となりリーダーを含めて烏合の衆と化す。
更に部下へ自分の知識やノウハウを移植する術を知らないのでどうにもならないのである。

オープン型リーダーシップは、万が一自分が倒れても移植されたDNAが目標とされるマネージメントを遂行してくれる。
簡単に言うと、リーダーが眠っている間もせっせと動いてくれる分身が存在するということ。
これはある意味、種の保存に近いものがあると私は考える。
オープン型リーダーシップはごく自然な在り方なのかもしれない。

ブログは私にとってのオープン型リーダーシップの1つの戦略なのです。

2007/08/25

財務のお勉強に














最近読んだオススメの本です 左 過去読んだやつ 右
我々チェーンストアの店長のゴールの1つにフランチャイズのオーナー店長という目標が1つ考えられると思います。
フランチャイズ店長の多くがもっとやっておけばよかったとか、もっと勉強しておけばよかったというものの1つに結構毎度毎度含まれているのが「財務」について、特に財務三表は読みこなせるか、使いこなせるかぐらいになっておいた方がいいとおっしゃる方が多い。
私も店長になる1年前に絶対に必要だと思って勉強しよう勉強しようと思いながら店長になってしまった。
一度は全て読み込んでみたが、実際に使い込んでいないので時間の経過とともに理解度も低下。
やはり1つ1つ着実に使いこなすのが一番理想だと自分なりの結論に至る。

ということで今回はROE(株主資本利益率)について
ROEとはオススメの本の中の一文が単純明快で誰でもわかると思います。
「株主が投資したお金をどれだけ効率よく活用しているかを見る指標である」
アメリカでは、このROEを重視した経営が盛んで、日本もその影響を受けていると思いますが、式に直すと非常に簡単で、

ROE(株主資本利益率)=利益÷株主資本(資産-負債)×100(%)

ROEは大きければ大きいほど数字として良い、経営として良い、というのは式を見ればピンときます。
利益は大きければ大きいほどいい、つまり分子は大が良く
株主資本は小さければ小さいほどいい、つまり少ないお金でたくさん儲けるということ。
分母は小さければ小さいほどいいとなる。
健全な経営者というか、普通なら利益を増やしていくという方法でROEを改善させるのが定石だが、アメリカではそうではないということを著者の原丈人さんは説明されている。
つまりアメリカのビジネススクールは分母の方に目をつけた!
分母を最小化すれば、分子が変動しなくてもROEは改善してしまうということ。
確かにまじまじと式を眺めていたら数字遊びで思いつくことだが、それを経営者はせっせとやってしまう。どうやって?
従業員解雇や工場の売却により資産を圧縮するという手段、脂肪吸引手術のようにギュギュッと
必要ならばアウトソーシングしてしまえばいいということです。
書いていて、このROEの指標の魅力を感じなくなってしまったが、逆にROEを短期に操作するような画策がなされていないかを注意してみれば、それは逆に確認すべき指標ともなりえると思う。
ということで、この財務テクニックを使ってどんな会社がどんなROEを叩き出しているのか検証してみるとROEについては理解が深まるのかと思います。
今書いたような内容を具体的な数値を割り当てて解説しているナイスなブログがあるので私のような財務初心者なら参考にするといいと思います。

http://kabuohazimeru.blog22.fc2.com/blog-entry-105.html

この本は内容自体が物凄くいいものだと思います。
どの項目についてもよく内容が整理されていて、わかりやすい。
WEB2.0に興味がある私にとっては特にPUC(ペイパーシブ・ユビキタス・コミュニケーションズ)というアーキテクチャーやPtoP型のネットワーク環境を支えるデータベース技術のIFX理論に可能性を感じましたが、情報不足で調べても詳細を明らかにすることができていません。
これは自分の宿題にして、話を本に戻すと、
もう1つ凄くわかりやすかったものの1つに第三章の会社の新しいガバナンスとは?がある。
コーポレート・ガバナンス(企業統治)と縁が深いCEO(最高経営責任者)は我々店長にとっては中々その存在や仕事の進め方、人事など近くにいないだけに、ピンとこない役職の1つだと思います。
この本では、アメリカのCEOについて書かれていますが、その絶大な権限と厳しい評価体制についてよく説明されている。
株主総会によって取締役は選任され、取締役によって厳しくCEOは選任されるという理念上の関係が、CEOの独裁になっているということ、その元凶がストックオプションである。
つまり株主は短期間で株価上昇により利益を得たいという希望とCEOはCEOが持つストックオプションからの利益、トドメはCEOの暴走を止めるはずの取締役をCEOが選任していては、企業統治どころではないというのもうなずける。
そこにROE改善財務テクニックがあれば、なんちゃって企業のできあがり。
そんな企業、社会にとって何の存在価値があるのだろうか。

2007/08/23

仕事とは何か

仕事とは何か?という問いは、かなり難しい質問だと思うが、ある有名な「バカの壁」を書いた方がコラムでこんなものを載せていた。
仕事とは何か?
仕事とは誰かに必要とされている、社会に必要とされているものである。
簡潔に訳すとこんなところだそうだ。
つまり、ある仕事Aは、それによって社会を豊かにする。
例えば、好価格で、とっても素敵な洋服が買えることを実現するための仕事Aは、それを着る人々に楽しみや喜び、または暖かさや快適さを提供してくれるというように、誰かが、もしくは社会が要望しているために必要で誰かがやらなければいけない、だから仕事Aが存在している。
仕事Aが必要とされている。
この仕事Aをあなたがやっているだけというのが現実。
この仕事Aは他にできる人がいれば極端な話、あなたでなくてもいいのである。
世の中は、このように必要とされている仕事にそれをできる誰かがついているだけの話なのだ。
確かにその通りだと思う。

そして養老孟司さんは、この仕事を自分のためにやるようになったら危険だとおっしゃっている。
つまり判断ミスをしたり私利私欲に走ったりして、本来の仕事の目的を見失って、そのような仕事をしてしまった方はハイさようならである。という話である。
それならまだ、いい方で他人様にご迷惑を掛けるとんでもない奴まで現れると付け加えている。

かのドラッカーも同じようなことを言っている。
事業(仕事)とは何かを定義することを薦めている。
その事業が存続するか、企業が繁栄するかは、事業の定義次第であるということである。
社会が求めるもの、顧客が求めるものを我々の事業とは何かの答えに導ける企業のみが成功し存続する。

私たち店長も常に自分の仕事については「我々の仕事とは何か」考えて答えを持っていなければならない。
その仕事とは何かの答えを間違うとき、我々は店長職を退かなければならなくなる危険をはらんでいる。

「白い恋人」は北海道のお土産として、思い出の味として、国民とともに存在していた。
あのパッケージとあの味から遠い昔の思い出が蘇るひとだっている。
今は亡き、誰かと食べた貴重な思い出の品であったかもしれない。
事業(仕事)とは何かを今一度問う必要がある。
それを誤ると社会や人々が不幸になってしまう。
本当に心が痛む、残念な事件が続いている。

その仕事はあなたがやらなくてもいいのである。
でも仕事は誰かがやらなければならないのである。
それは誰かが、その仕事を必要としているからである。
あなたが自分のために仕事をしているのなら遅かれ早かれ、あなたはその仕事から追い出されるだろう。
もしあなたが、仕事を自分のためにしているのなら誰かに譲るべきである。
必ずその仕事は他の誰かができるのだから
あなたがもし、自分のために仕事をしているのなら、それは数多くの人々を不幸にする、社会を不幸にしてしまう、だから即刻あなたは退場すべきである。
あなたの仕事は他でもない、あなたの為だけの仕事なのだから
つまり誰もあなたを必要としていないのだから。

店長として必要なことは、会社の、我々の事業とは何かを考えて、それが間違った方向へ行かないように常に現場を見る、本部を見る、社長を見ることである。
もし間違いがあれば、それは声に出して言わなければならない。
もし声に出して言わなければ、その会社は退場する。

2007/08/21

ワークライフバランスに一石投じる

ワークライフバランスという言葉が盛んに使われるようになってきました。
つまり仕事と生活の調和である。
仕事も充実させ、仕事以外、家庭や自己啓発、ボランティアなども充実させることで、社会も活性化していきましょうというような素晴らしい提案である。
長時間労働などの労働環境の改善、ノー残業デーなどがよく聞かれる具体的な取り組みの1つである。

私が警鐘を鳴らしたいのは、正しいことが常に人々全員を幸せにするということではない。である。
このワークライフバランスについて、極論ずればの話になるが、世間に存在する細かい仕組みを全部取り払ってシンプルに考えた仮説を紹介したいと思う。

ここに完全実力主義とハードワークで有名な会社がある。
初年度の年収は会社の評価軸に則り、週当たり平均54アウトプット(仕事の成果の単位とする)できる社員に対して450万円としている。
これは生産性が向上して、アウトプットが54を超えるとそれに連動して年収も増えていく、もしくは減っていくという完全実力主義的制度である。
またハードワークで有名なこの会社の社員の平均労働時間は週当たり60時間
週休2日間、出勤5日間の平均労働時間は12時間程度。

この会社に未来の希望を背負って3名の若者が入社をしました。

社員A:年率成長率30% 基本アウトプット 労働時間に対して90%
社員B:年率成長率15% 基本アウトプット 労働時間に対して80%
社員C:年率成長率5%  基本アウトプット 労働時間に対して70%

社員Aはいわゆる有能な社員、社員Bは標準的な社員、社員Cは努力が必要な社員というのは
上の設定から見ても理解してもらえると思う。

実際、世の中には優秀な人材もいれば、そうでないひともいる。これになんの不思議もない。

この会社の平均労働時間、60時間つまり週当たりの社員3名のアウトプットは

社員A:60時間×90%=54アウトプット
社員B:60時間×80%=48アウトプット
社員C:60時間×70%=42アウトプット

ということになる。

初年度の年収 週当たり54アウトプットで450万円頂くには社員Aの水準を求めているというのが
この会社が完全実力主義、ハードワークで有名である所以なのかもしれないが、
54アウトプットを超えれば年収は増えるため、これもまた1つの魅力なのかもしれない。

注目すべきは社員Bと社員Cである。
平均労働時間の60時間ではそれぞれ48と42アウトプットと有能な社員Aには及ばない仕事の成果である。450万円もらうには54アウトプットしなければならない。
そこで社員Bと社員Cは考えた。

答えは簡単、努力することである。

社員A:60時間で54アウトプットに匹敵する仕事をするには
社員B:67.5時間×80%=54アウトプット
社員C77.1時間×70%≒54アウトプット

とめでたく社員3名 週平均の54アウトプット達成に至る。

つまり社員Bは不足していたアウトプットを労働時間を1.125倍(努力)にすることで補った。
    社員Cは不足していたアウトプットを労働時間を1.285倍(努力)にすることで補った。

イメージとしては、社員Bは1日休日出勤して定時の8時間で帰宅。
           社員Cは1日休日出勤して定時の8時間で帰宅し他の出勤日は平均12時間の
           労働時間を14時間と2時間更に残業することで補ったのである。

こんなような日々が1年続き、3名は晴れて新入社員から卒業2年目に突入した。
そして社会ワークライフバランスが盛んにもてはやされる世の中になった。
完全実力主義とハードワークで有名なこの会社にも転機が訪れた。
社会的な立場もあるし、週平均60時間であった労働時間を50時間にしようじゃないか。
ワークライフバランスでみんなが豊かになろうじゃないか、そうノー残業デーの導入である。
これによって労働環境は整備され、週の平均労働時間は50時間になった。
50時間が労働時間の上限になってしまったのである。

話を3名の社員に戻そう。
2年目になった社員の基本的な能力は変化した。

社員A:年率成長率30%ゆえ平均労働時間60時間での生産性は
     54アウトプット⇒70.2アウトプットに成長    
社員B:年率成長率15%ゆえ平均労働時間60時間での生産性は
     48アウトプット⇒55.2アウトプットに成長
社員C:年率成長率5%ゆえ平均労働時間60時間での生産性は
     42アウトプット⇒44.1アウトプット

ここには前提条件が発生する。
■平均労働時間が60時間だったのが、強制的に50時間へ制限される
■公休取得が義務ずけられ、完全週休2日制とノー残業デー
イメージとしては5日間平均10時間つまり2時間程度の残業までが許容範囲となった。

よって2年目の社員3名の生産性は 
社員A:週平均労働時間50時間当たりの生産性 70.2×5/6=58.5アウトプット
社員B:週平均労働時間50時間当たりの生産性 55.2×5/6=46アウトプット
社員C:週平均労働時間50時間当たりの生産性 44.1×5/6=36.75アウトプット

実力連動性の年収に換算すると 週平均54アウトプットで450万円なので
社員A:58.5÷54×450=487万円と年収37万円アップ
社員B:46÷54×450=383万円で67万円ダウン
社員C:36.75÷54=306万円で99万円と大幅ダウン
2名は自由な時間と引き換えにワーキングプアの仲間入りを果たしましたとさ、ちゃんちゃんとなる。

この条件下で社員Bが初年度、努力によって貰っていた年収450万円に返り咲くには3年を要する。
もっと悲惨な社員C君は初年度、努力によって貰っていた年収450万円に返り咲くのには、なんと
10年間を要するシュミレーションとなった。

つまりワークライフバランスという名の正しい取り組みによって皆が豊かになるという耳障りの良い幻想に踊らされて社員Bと社員Cが直面するのは、言うなればソフトワーキングプアという新しい貧困層への仲間入りという厳しい現実であり、そこそこ働いて自由時間があるんだけど、収入は年々減少していくというワーキングプアの新バージョン、ソフトワーキングによるプアへのソフトランディングに他ならないのではないか。
格差社会の綿密に設計されて皆の為の豊かな実りある取り組みという大儀名分によってカモジュラージュされた周到な罠なのかもしれない。
所得格差の増幅装置、幸せや豊かさ格差の増幅装置としての危険をはらんだ、このワークライフバランスは諸手をあげて万歳では済まされない、実は過激な格差メカニズムの装置なのかもしれない。
生産性もあがらず、狂牛病のようにスカスカに成り果てたスポンジのような脳みそぶらさげたゾンビ社員が社内を徘徊するような社会や会社があふれかえるのも時間の問題なのかもしれない。

補足。
ワークライフバランスによってもたらされた自由な時間を社員Aは自己啓発に社員Bはお友達と遊ぶために、社員Cはダラダラ寝て過ごした。
結果、やっぱり格差は広がり、どうにもならくなりました。
ところが一部社員Bと社員Cが、あることに気が付いた。
それは努力によって生産性が変動していく、変動要素が時間と成長率の2つであることに気が付いた。
つまり、やっぱり不足している生産性は時間という努力で補うしかないということ。
優秀な社員Aを遥かに上回る努力によってしか報われない現実を直視したこと。
その中でも、もっと大切なことに気づいた一部の社員Bと社員Cがいた。それは時間という制限がある場合は成長率をあげれば、生産性を補うことができるということである。
成長率をあげるにはどうしたらいいのか、必死に考えた一部の社員Bと社員Cは、やはり時間を使って自分を磨く以外に有能な社員Aと並ぶ方法はないという結論に至った。
彼らは自由時間を利用してせっせと成長率をあげるため時間を使うという努力に徹した結果、この負のスパイラルから脱出することができました。

めでたしめでたし

だから人生では何よりも「時間」が貴重であり、ビジネス界でも「時間」が一番貴重である。
平等だからこそ不平等な全員に与えられた共通の「時間」
なにに使うかは貴方次第なのである。

ワークライフバランスというものは光と影である。    

2007/08/20

超新人類たちとの遭遇

今日は妻の友人で音楽業界に勤める方と我が家で夕食をする機会に恵まれた。
そこでとても興味深い話を聴くことができた。
音楽業界は今かなり深刻でCDのセールスは軒並みダウントレンドでパッとしないようで、データ配信による事業のウエイトが大きくなってきているようだが、
確かにiPodなどアップル社の戦略が大成功を収め音楽はダウンロードするのが当たり前の時代になった。私も4年前にMP3を使っていたが、誰も使っていない状態でした。
周囲はMD・CDがメインで私だけが浮いていたんですが、今はすっかりお馴染みになりました。
そして今や最前線の若者はどのように音楽と向き合っているかというと、CDウォークマンはおろか、iPodなどは一切持っていないそうです。
面倒くさい。
そしてCDなんて家に置きたくない。というから驚き、以前ブログで書いたタワレコ仮説の正反対です。
そう超新人類は欧米化?(笑)
タワレコを支えているのは、その前の世代の30代~40代という全体像が見えてきました。

で、超新人類は、どうやって音楽を聴いているかというと、携帯電話の着歌フルで聴いてます。
驚愕ですね。しかもサビだけ聴ければいいというような域です。
それはまるでモナリザのジクソーパズルをモナリザの微笑む口元だけ完成させて満足しているようなものではないでしょうか。
こんなことが成り立つなんて理解できませんよね。しかも歌詞なんてどうでもいいそうです。

この配信ビジネス相当実は単純らしいです。
彼女の会社は大手なので大物アーティストがいるから安泰みたいなんですが、
パターンが決まっていて、新曲発売の2週間前に先行配信(一部)そしてリリースと同時にフルに切り替えをする。
また懐かしいナンバーのリストを作ってWEB上に置けば、それなりにたくさんダウンロードされるとのこと。
見せ方とか、書き方とか構成はできていて、それに則って仕事をすれば一定の成果がでちゃうんだそうです。

それにしても超新人類、我々もこんな種族に対して有効なアプローチを取らないといけないなんて、とても困難な時代になったんだなと感じました。

2007/08/19

常識を疑え

常識を疑うことは、非常に難しいことである。
当たり前に行っていること、空気のように違和感なく漂っているかのように我々の周囲に存在しているもの。
今日はそんなことを中心に考えながら、あれこれと思考してみた。

私は先々週に長期休暇を頂いた。
サービス業、特に店長という立場で、お休みを頂けるのは非常にありがたいことであるが、
この時期、社内メールで飛び交う内容に非常に違和感を感じていた。
それは「引継ぎ」である。
引継ぎとは、つまり仕事と仕事をつなげること。
この場合は店長が長期休暇を取っている間、店舗運営が安定して行えるように適切なガイドラインを残すことに当たるのだと思うが、この「引継ぎ」がどうしても日々腑に落ちないまま、休暇も明けて仕事に復帰した後も未だに頭を悩ましている。
どういうことか。
皆が当然のように引き継ぐのである。上司も部下も近隣の店舗の店長も全員が、である。
これが危ない常識だと私は感じている。
そもそもなんで「引継ぎ」なるものが発生するか、それは本来、円滑に業務をこなしていくために必要不可欠なものであり、計画であり、判断基準であり、評価軸でもある。
換言すると、このような計画で、1週間業務を組み立てて、このレベルで、このぐらいの成果が出せるようにやってね、不測の事態が発生したら、こうゆう基準でこのように対処して、それでも駄目なら、こうすればなんとかなる。なんてことである。
引継ぎをしっかりね!引継ぎは万全です!というありふれた会話の中に常識によって思考が停止してしまった我々マネージャーの鈍感というか、気づき力の弱さを感じてしまった。
えっ何が?
そもそも引継ぎが発生している状況をよく考えてみよう。
毎週一体何をやってるんだ?だって店長がいても、いなくてもやることは基本的に一緒で、店長が休暇だと特別なイベントが発生するのか?それはない。
月曜日から日曜日まで何をやっているのかさっぱりわからない人間が店長の補佐役として店舗運営をやっているなら、それは補佐役ではない。
補佐役になっていないなら、それは店長の責任で日々の指導不足か育成不足でしかない。
つまりそれは店長、あんたの責任なんだ。である。
店長がやるべきことは確認であって引継ぎではない。不測の事態が起こるのは店長がいても、いなくても変わらないことであって、普段から判断基準の軸を教えていればいいだけの話である。
もっと平たく言うと、君が店長ならどうやって問題を解決するのかを自問自答でき、その答えが店長とイコールになるように育成すればいいだけである。
引継ぎとはそもそも摩擦であり、時間のギャップである。
流れが中断し、時間を取られ、集中力を欠く。
引継ぎがなければスムースに流れるように業務は流れ、集中してマネジメントを行える。
お伺いなど立てなくてもいい、自分で判断すればそれが正なのだから。
私が感じる、この「引継ぎ」への違和感はこうした考えが背景にある。
だから引継ぎなんてものは存在させないことが望ましい。
それが店長の補佐役が将来、店長になっても困らないための私の育成方針である。
自立させなければお互いが不幸になるだけである。

この「引継ぎ」は何も長期休暇取得の場合に発生するものではない。
日々の業務の引継ぎを考えると私の店舗の場合は

平均しておおよそ、
14名×1日3回×0.17時間+管理者合計1日当たり3時間×365日×平均時給1000円としても
370万円程度、年間費やしている。
チェーンストアならこれに店舗数を掛け合わせるといいです。
これぐらいはこの引継ぎという常識の影で垂れ流しになっている経費と生産性。

これをなくしてしまう方法が、この常識を覆す方法となる。
極限まで、この摩擦をなくしてスムースにとめどなく流れるように円滑にこなすことがイメージである。
例えば、情報や計画のプラットホームを作り出し、リアルタイムで状況が確認できる状態。
皆さんはマクドナルドに行ったことがあると思います。
良く見て見ると彼らは同じモニタを見ながら必要なものをテキパキと揃えてオーダーされたものを即座に提供できるように工夫しています。(観察する限りは)
それをマネすればいいだけです。
全員で1つのモニタに進捗状況を明記してリアルタイムで進捗を取り、消しこみをしていく。
それを全員が確認できるところに設置し、ひとめで何が終わっていて何が残っているのか、次の計画はなんなのか、それを1日単位、週単位、月単位で組み立てれば、プラットホームは完成します。
ではスタッフの業務のバトンタッチまでできるか。
それは携帯端末で作業状況をインプットしたり、質問も音声やメールでも対応可能なインカムのようなものとか、GPS搭載なら人員配置も一目瞭然で、的確に指示を出したり、スタッフ自身の移動距離や生産性などの情報も取り込めるようなものができたら、将来的には引継ぎの摩擦を0に近づけ、的確な作業量を見積もって割り当て可能になる。
だがしかし、
未来を待たずとも我々は今持っている知識や材料で同等に近いことはやってのけられるはずである。
それをやらない限り、常識の呪縛から開放されることはありえない。

是非、常識を疑って欲しい。

ちなみに私の店長補佐役のレベルの判断基準は日々の業務遂行状況と電話の回数と内容である。
多ければ多いほど、内容が緊急度と重要度が低いければ低いほど
私の力不足を痛感する。

店長全ては、あんたの責任だが聞こえてきてしまう。
店長全ては、あんたの責任だは自分に対する痛烈なメッセージである。
皆さんも自分を計るバロメーターとして意識してみてください。

2007/08/16

アンパンマンは社会インフラとなった。

以前ブログで触れたが、アンパンマンがなぜ人気なのか?について
簡単にアンパンマンのルーツから
著者、やなせたかしがアンパンマンを描く動機となったのは戦争による深刻な食糧事情があった。
空腹という人間の欲を満たすことがままならなかった経験から当初の作品のコンセプトである。
困っている人に食べ物(自分の頭)を食べさせてあげる。というストーリーが骨組みとなった。
当時はひらがなで「あんぱんまん」現在はカタカナで「アンパンマン」である。
アンパンマンの美学とは、決してカッコ良くもなく、頭が削れてしまったりという通常のヒーローにはあまりお目に掛かることができない現実の人間の繊細さを含んでいるところに著者の考える、ヒーロー像の本質がひそんでいるのかもしれない。
アンパンマンという企業は、社会が切望していた潜在的なニーズであったのかもしれない。
アンパンマンという企業は、しっかりしたビジネスヒエラルキーで成立している。
①ミッション(理念)
困っている人を自分を犠牲にして傷ついても助けよう。
どんな相手でも決して屈しない正義を貫くこと。
②ビジョン(目標)
世界から空腹をなくす
③戦略
単純明快なストーリーライン、バリエーション豊かなキャラクター(2000種?)
自分の頭を困った人に迅速に運べるようにインフラを確保する。
個性豊かな仲間とチームワークを発揮する。
ジャムおじさんの後方支援
競合としてバイキンマンを置くことで活性化
子供たちのヒーローというポジションを確立していくこと。
④計画
各種メディアや関連グッズ事業への積極的な活動をしていく。
アンパンマンの絵本の総発行部数は2006年に5000万部を超え。
2005年6月に発表した人気調査0歳~12歳対象のキャラクターで4年連続首位。
0~2歳児の支持率58.6%。
2005年キャラクター商品の売上額は年間約900億円。
2004年8月時点のライセンス商品は6500点、ビデオ・DVDの総売上本数は750万本。
⑤管理
アンパンマン版権使用許諾は日本テレビ音楽にて一元管理。
アンパンマンというキャラクターの価値の下落を防止。
主なライセンシーであるバンダイやセガトイズなど4社による「アンパンマン会議」も設置し徹底した、クオリティー管理をしている。商品偽装問題に気をもむ消費者にも安心。
⑥業務
メディア露出
地方巡業(笑)

こうしてアンパンマン企業は世代を超えることができた。
誕生当初は人間っぽい風貌であったが、丸いフォルムと3頭身という子供に愛される姿へ変貌をとげたこと。つまりアンパンマンはイノベーションを行い。
世代を超えたことで、親になった当時の子供たちがアンパンマンを生活の一部として愛することにより、圧倒的支持を受ける要因となった。そして子々孫々アンパンマンは存続し、我々の社会的なインフラとなった。

結論:子供たちのヒーローは世代を超えることができたら生き残れるかもしれない。
    それにはミッションとビジョンが明確であり、きちっとした戦略が必要であり、
    イノベーションできることが前提である。

アンパンマンが人気である理由、それはアンパンマンが私たちの社会の一部である
ということなのかもしれない。

困ったときは是非飛んできてもらいたいものである。

定量情報の分析について

店長職についている方なら、また、おそらくビジネス世界にいる方なら、この数字を分析することから無縁な方はいないはずです。
この数字を読み解く作業というのは非常に時間を要するもので、読み方の度合いや範囲は、それこそいかようにも変化させることができるものだと思います。
週単位でマネジメントする商売なら先週の売上げや粗利、在庫の状態、単品の動向を踏まえ、他店や全社平均、地域の平均値など様々な情報を確認し、次の商売のために新たな数字を仕込む(発注とか)それぞれ役職によって、このBI(ビジネス・インテリジェンス)のレイヤー(階層)は異なるものの絶対に避けては通れない仕事のうちの1つです。
先週の実績の定量情報、先月の実績の定量情報、四半期の、半期の年間のと検証する数値のスパンも選択できるため、広範囲かつ数字を分析する上での基準も対象によって柔軟に変化させなければなりません。
各企業が有するシステムで簡単に数値を確認できる情報はあるものの、それは単なる数値の羅列にすぎず、その数値をどうやって読み解くかが、個人のスキルと生産性に左右されるのです。
つまりシステム上で確認できる数字は加工されているようで全く加工されていない情報であり、そこに意味を持たせるのは私たち自身であるということを強く認識しないといけません。

そして私が言いたいのは、その加工を迅速にやるということ。
これは私が数字を分析する訓練をはじめた。
店長候補者時代よりも、もう少し前、AL契約で今の会社に勤めていたとき、1つの部門を担当することになったときから考えていたことです。
とにかく時間がかかりました。
たった1つの部門の数値を見るのに2時間~3時間は使っていたと思います。
店長になったら、単純にこの14倍、地区をまとめる地区長なら更に94倍の時間を要する計算になります。幸いにも数値を見る時間を私は私の経験値と見る視点を養うことで個人としてのスキルアップによる時間短縮ができましたが、そこから先は店長になっても飛躍的に効率化する、生産性をあげることが難しいことに気づきました。

そこで挑戦したのが、マクロというアプローチでした。
営業部の店長がシステムエンジニアのようなアプローチで仕事をするという発想です。
つまりコンピューターの力を使って実現しようとしたのは、自分が頭の中で考えることをコンピューターにやらせてしまおうでした。
当時の上司(店長)が使っていたマクロに興味を持ち、徹底的に学ぼうと思いたくさん本を読んで実験していたのを今でも覚えています。
そんな試行錯誤から6年経った今では、瞬時に自分が考えているのと同じように数値を加工してくれるプログラミングができており、非常に短時間でポイントとなる数値を一瞬のうちに発見でき、かつ非常に広範囲をカバーできる仕組みを作り上げました。
60店舗分ぐらいなら6年前の自分が使っていた時間ぐらいで要点をまとめあげて、戦略を示すことができるようになりました。

仕事のアプローチには様々な方法があり、デザイナーだから数学とは無縁というような固定観念にとらわれては、よいデザインは描くことができないのだと思います。

私が整えた仕組みの考え方と類似している考え方が書いてある記事です。
興味がある方はどうぞご覧ください。

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20070217/1171679191

2007/08/15

第3の人生

第1の人生とは、この世に生まれたときからはじまった。
第2の人生とは、1996年アイルランドの大地に立ったときからはじまった。
そして今まで第3の人生が始まる感覚を味わっていないが、人事異動でアジアへという話が出たとき、もしかしたらと思った。アジアと言えば香港ぐらしか知らない私に取って相当刺激的な生活が待っていると感じた。色々と障害があり今回は見合わせになったが、着実に第3の人生の扉が開きつつあると実感した瞬間だった。
目まぐるしく変化するアジア、異国の地での仕事は私を成長させてくれるには十分すぎるぐらい魅力だ。

異動の経験は店長職をやっている方なら何回か経験されている人が多いと思います。
特にチェーンストアなら尚更、全国を転々と、もしくは世界各国へという方もいるのではないでしょうか。
わたしもその中のひとりですが、今回の異動がなくなったため、現在の店舗を続投する上でやはり、真剣に考えなくてはならないのが、自分自身のあり方である。
ある方からアドバイスを頂いたが、「従来の延長線上を超えることは通常容易ではない」
確かにその通りで、とても困難なことは私が新人店長の頃、同じ店舗に1年半いたが、自らを変革することができなかった。
最初の半年で築き上げた自分の成果と勢いに勝つことができなかった。
最大の敵、最大の障壁は自分である。
確かに色々な要素はあると思う、部下の素質や、やる気、店舗を構成しているメンバーや上司、顧客など様々な影響を受ける中で少しずつ時間とともに何かが削られていく、そして妥協したり、言い訳をしたり、失望したり、ひどい場合は人に責任をなすりつける有様。
幸い、そのような状況に陥ってはいないが、延長線上の成長は緩やかな弧を描いてしまう。
そのまま平行線というときもある。緩やかに下がる曲線もある。

私が目指すのは延長線上を超えること。
突然変異である。
外的な要因、つまり異動という要素での変化ではなく。
延長線上で戦いながら、葛藤しながら全く次元の違う自分に生まれ変わることを目標にする。
今までの自分の意識と行動を徹底的に洗い出し、どのように変化するかを色鮮やかに描き出し、変化の糸口を創り出す。
糸口は些細なことかもしれない。
髪型を変える。着こなしを変える。体格を変える。

スイッチング。

見た目の変化は糸口にすぎず、意識と行動の変貌は圧倒的なものにしたい。

私は新しい自分にチャレンジする。

GAPのダイエット

経営再建中のGAPが、1100人解雇を発表した。
同じカジュアル衣料チェーンの頂点に立つGAPが厳しいダイエットに迫られている証拠である。
暫定CEOであったGAP創業家、長男のロバートフィッシャーによる人員整理であった。
GAPが現在の規模まで成長できたのはドレクスラー氏の経営手腕でフィッシャー家の子孫との間での権力争いの末、退陣、後釜にはディズニーのプレスラー氏が着任するも、再建の目処が建たないまま、またまた退陣、その後ロバートフィッシャーが着任し、上記のようなダイエットを行った。
GAPを成長させたドレクスラーはJクルーに移り成果を挙げている。
なんという皮肉。
優秀なCEOを自我を抑えきれず手放した判断ミスは大きいしっぺ返しとなった。

巷ではダイエット、ダイエットと騒いでいるが、実際に成功したひとが少ないのは、苦労や努力を伴わない他力本願的な試みが多いからだと私は考える。
ダイエットをするには、やはり継続した努力が必要であり、それには非常に労力を要するはずである。
つまり食生活やライフスタイルの改善や適度な運動が必須ということ。
楽して痩せるなんてことでは、やはりその場凌ぎとしか言いようがないのである。
人員調整による経営再建は、私には脂肪吸引手術にしか見えないのが現実。
リストラ=解雇というようなイメージだけがひとり歩きしてしまっているようでは、物事の本質を見誤っているように感じてします。
過激なダイエットよりも、コツコツ継続して努力と労力を要する食生活改善、ライフスタイル改善、適度な運動による体質改善、換言すれば、規律、徹底した自己管理こそがダイエットの秘訣なのではないだろうか。
新CEOグレン・マフィー氏のアプローチが楽しみである。

2007/08/14

妻と私の風景

妻に改めて謝罪と感謝の意を伝えたい。
結婚する前というか、今もだが好き勝手に生きている自分をじっと忍耐で見守ってくれていることに、感謝している。
独身時代も今もきっと私は頑固で冷たい人間である。
デートの時間を作らずに休日に店舗へ行ってレポート打っていたり、男友達とこっそりと飲んでいたり、仕事とわたしと、どっちが大事?なんて質問されたら、仕事と答えてしまうような人間であったかもしれない。(実際には答えてない)
でも私は将来、ふたりでちゃんと生活できるために、その時の時間を仕事に使っていたり自己啓発に使っていたのは説明したことすらなかった。
当然、何度か危機的状態は訪れたが、なぜか困難を乗り越えてきた。
そして結婚することができました。

結婚式で参列者(親戚のみ)の方々にお話をさせて頂いた言葉を今日もなぜか、公園で縄跳びをしながら思い出した。
「皆さんはなぜ?結婚をしましたか。」
「私は昨晩、結婚ということについて考えてみました。」
「なぜ人間は結婚するのでしょうか。」
「それはお互いが一緒にいると幸せになるからです。」
「喜びは倍増し、悲しみは半減することができる。」
「だから一緒になるのではないでしょうか。」
「幸せはどうやって証明するのでしょうか。」
「それは遠い将来、僕らが僕らを振り返ったとき、その道に印されているはずです」
「だから私たちは結婚します。」
「皆さんは私たちを見ていてください。」
という内容でした。
そう人間は生まれながらに完全でなく、生きている過程でも完全でなく、そのまま墓に入るのです。
結婚するひとも、結婚しないひとも、なぜそうするのか一度真剣に考える必要があるのではないでしょうか。


そんなわけで、とんでもない私みたいな人間と一緒に歩んで行ってくれる妻は、私にはいなくてはならない存在なんです。



いつもありがとう。


ここからが風景について
妻が突然イオンで、こんなことを言い出した。
「アメリカのタワレコはつぶれたのに日本のタワレコは生き残る理由は?」
妻の仮説は
-日本はコミック文化のように小さい頃から何かをコレクションする習慣がある。
  だから音楽の場合もアメリカ人はネットから落として満足するけど、日本人はCDのケースや
  そのデザインや歌詞カードに愛着を感じるからじゃないか?という説。
妻が突然買い物から帰ってこんな事を言い出した。
「Francfrancはなんであんなに売れてるの?」
妻の仮説は
-カラーバリエーションがやたらと豊富である
-機能性も工夫があるし、そのくせデザインもちょいこだわっている
-値段も高くもなく安くもない、手が届く感じがにくい
-自社製品以外の商品と外注の商品もうまく売場に取り入れている。
そんなことを言っていた。
お店に人がたくさんいるから売れているとは限らないから
私は本当にFrancfrancが売上好調なのか?を調べないといけないね。
なんて更に問題を投げかけたりしました。

そして先日は、私の両親が自宅へ遊びにやってきて(勿論孫目当て)
みんなでトイザラスへ買い物へ行ったりしてきました。
両親の幸せそうに自分の子供と遊ぶ姿を見ていると私は幸せでした。
そして我が子がお気に入りのアンパンマンのドラムをプレゼントしてくれた。
ふたりはデレデレのまま帰宅していきました。

そのアンパンマンドラムを眺めながら
アンパンマンはなぜ、あんなに人気があるのだろうか?という課題にふたりで
仮説を色々と
あんぱんは旨いし日本人の味だ!歌が素晴らしい!とか
キャラクターのフォルムが子供の心を引き付けるだとか。
そんなこんなで毎日が過ぎていく。

これが我が家の風景である。

タワレコとFrancfrancは検証してみようと思います。
一応アンパンマンも時間があれば(笑)

2007/08/12

現場管理者の仕事のスタンスについて

現場管理者、そう店長職のように現場を管理するポジションと権限を持った人物である。
わたしは店長だから店長の仕事の範囲をこなしていればいいと思っていたことがある。
でしゃばると必ず上司から注意された。
暴走するなと。
よってたかって出る杭は打ってくるのが社会なのか?とつくづく感じたものでした。
この1年は随分と自分の勉強スタイルも変化して経営なんて夢のお話と想って過ごしていた自分が、経営とは何なんだろうと考える機会が増えました。
新聞を読んでも読んでいるだけだったのが、経営について考え出して暫くし時間が経過したころ、気づきました。世界の流れが、仕組みがなんとなくわかるようになってきた。
それはとっても凄いことでした。
そして何より自分の会社のこと、方向性、抱えている問題など、ほとんど間近のことしかわからなかったのが、会社の状態や方向も理解できるようになってきた。
社長が隣にいるように感じるぐらい。
ドラッガーというビジネスの世界では知らない人はいないぐらい有名な人が書いた本をもう何冊も読み込んできましたが、ようやくドラッガーが言わんとしていることを体感しはじめることができたんだと想いました。
ここだけの話、有名すぎて硬いことばっかり書いているオジサン?オジイサン?の話なんて(笑)
なんて思っていましたが、ここまで深く考えている人、ここまで全体をよく掴んでいる。
原理原則や真実、真理をわかりやすくまとめている人がいるなんて凄いことです。

話はそれましたが、店長は現場管理だけをしていては絶対にいい仕事はできません。
それは羅針盤を持たずに航海に出ているようなものです。
しっかりと羅針盤を持って巧みに舵を取り、船乗り達を導いていくことが店長の本来の仕事です。
素晴らしい航海、素晴らしい財宝を手に入れるためには羅針盤を持つことです。
宝島を発見することです。

経営について興味を持つと、とても面白いことがおきます。
役員の方と話をするチャンスがあれば、自分の考えや、会社の方向性などを質問してみればいいと思います。確かに腰が引けますが、5分や10分程度なら対等にやりあえるでしょう。
店長からそんな質問が飛び出してきたら、役員の方の表情が変化するので、じっくり観察してみてください。まさかそんなレベルで考えている店長がいると思っていない証拠かもしれません。
そして、そこから役員の方は言葉を選ぶようになります。
機密情報は隠すように話ますし、こちらの力量を観察するように慎重に質問や返答をしてきます。
こんなスリルは滅多にありません。
是非、皆さんも羅針盤をゲットしましょう。

現場管理者をなめてもらっては困ります。
経営を熟知した店長は最強かもしれませんね。

読書について

私が小さい頃、よく絵本を読んでました。
本当にたくさんあった記憶があります。
それから小学生になり、中学生になりと成長する過程でほとんど読書というものをしませんでした。
元々理系で科学や数学が好きだったので読書とは完全に無縁と自分で思っていたからです。
でも好きな科目については積極的だった記憶があります。
理系の方は知っていると思いますが、ニュートンという科学系の雑誌は講読してました。
また天体に関する本もよく読んでました。
宇宙が好きだったんです。
それと記憶に残っているのは西遊記とか、チョコレート工場の秘密(笑)
それからはあまり印象に残ってません。
今の会社に入ってから読書というものに興味を持ったのは、課題図書として1冊配布された本を読んでから、1冊読んだら世の中のことが全てわかったような錯覚を起こしました。
凄い錯覚ですね。
そして物凄く賢くなった気分で成長したぞ!と勝手に思っていました。
それから定期的に毎月1冊は読もうと決めて、将来自分のためになる本をスキルアップのために読んでました。
今振り返るとその当時にジョージ・ソロスのヘッジファンドについての書かれた本を読んでいるから驚きます。どんな気分で選んだのかさえ定かでない(笑)
でも内容は覚えているのが、更に不思議。
今でこそヘッジファンドなんて良く耳にしますが、当時はそんなにメジャーではなかったんですが。

そして当時の私の読書の決め事は読んだらレポートを書くこと。
その本の内容と自分の会社とを関連させて考えられることを徹底的に書き出した。
ネットカフェなんかも使って20時間ぐらい色々な情報を集めて完成させていた。
これを毎月やっていたのでかなり苦しかった記憶がある。
自分では本物の充実感を感じていた。

そんな生活をしている内に、衝撃の一言を…
月に1冊なんて読書じゃない!
社内のメールだったか、なんかの雑誌だったか記憶が曖昧だったが、衝撃だった。
こんなに苦しい思いをして書いているのに、論外??

それから週に1冊は絶対読むぞと決めた。
その衝撃の言葉を発した人物は毎日1冊読んでいるという噂を耳にしたことがある。
とても悔しかったので、今の自分では難しいが絶対に追いついてやりたいと思っている。
毎日毎日思っている。
それから公休日1日につき1冊というノルマになり、いつの間にか目標を上回り読書の本当の楽しさを知った。今では週に4冊ぐらいは自然に読んでいる。
最近は量より質を重視するようになり、よく吟味しているし情報も集めるようにしている。
今、思うのは毎日1冊読むのは簡単なことだと思うが、それでは例の言葉を発した人物と読むスピードは並ぶが積み重ねた時間が違う分、一生追いつかない。
だから考えた。
倍読むか、短時間で質の高い読み方をするしかないと。
だから今も試行錯誤している。
そんなことは当人は知るよしもないが、これってちょっと素敵な関係。
なぜなら、その人物は社長だから(笑)
私が社長なら、背中を追われたら相当嬉しい。
そして追い越そうなんて、思われていることが嬉しい。

それぐらいトップマネジメントには一言に重みがあるということですね。


読書の素晴らしさを気づかせてくれてありがとうございます。


今、私の本棚はパンパン、読み待ちの面白そうな本が10冊以上並んでる。
冷蔵庫の中にウメッシュがずらっと並んでいるのを眺めてうっとりしているCMのあの感じである。
皆さんも知を愛してください。

2007/08/11

中性脂肪の法則

健康診断の結果が届きました。

結果は経過観察が必要なC評価でした。
前回の所見あるが問題なしB評価よりワンランクダウンの要注意になった。
注目すべきは中性脂肪の異常値である。
ネットで調べて見たのだが、原因は食生活がメインでほかに運動不足が考えられる。
私なりに考えた面白い結論が出たのだが、料理が上手い奥さんを持つと中性脂肪はあがり、料理をしない奥さんで外食が多いと糖尿病になるという極論に至った(笑)
確かに異常値はショックですが、ご飯が美味しい、ついデザートまで食べてしまう。
これほど幸せなことはない。
しかし健康を害してはやはり家庭も仕事も傾いてしまうため。
今日から運動を開始してみた。
普段は腕立てや腹筋ぐらいはやっているのだが、あくまで筋トレ、有酸素運動ではない。
また仕事上、汗を流して動くことも管理職となってからは激減したため
やはり定期的に運動というものをしていない、以前の店舗では縄跳びをやっていたし、バランスボードもやっていた。
おまけに逆立ちもやっていたので比較的健康だったのかもしれないが、とにかく今は育児程度。
早速、車のトランクに入っている縄跳びを持って公園に15分で死にそうになり15分近所をジョギングの30分の簡単なトレーニングでしたが、最近縄跳びをしたことのない方は15分跳んでみて欲しい。
ありえないくらい大変です。
急にハードなことをやっても続かないので毎日コツコツ30分のトレーニングと食事に気を配って来年の健康診断はAに返り咲きたいものである。
思い起こせば新人店長時代、仕事のスキルなんてものもなく、頭も空っぽの私にあったのは
①情熱・熱意
②不屈の闘志と根性
③根拠のないリーダーシップ
どれをとっても精神論の塊のような店長だったが、
とにかく部下にも自分にも求めていたのは規律、志、整理整頓、体作りの4つぐらい。
健全な精神は健全な体に宿るというスローガンを掲げ突進する毎日でした。
その頃は近所の公園で金曜の夜になると店長代行の人々とスタッフと縄跳びをやったり、大縄跳びをやったりして体作りをしてました。
そしてなぜか全員持っていた車輪に取っ手がついていて転がして腹筋を鍛えるアレ。
新人店長には絶対に必要なことだったのかもしれません。
とにかく規律です。
その頃、影響を受けていた本です。
新人店長の方は自ら規律を重んじ、自ら節制し、己に厳しくする。
率先垂範を心掛けるといいと思います。
これは全員に言える事かも知れませんね。









そんな事を懐かしく回想しながらも、わたしも原点に戻って
まず健全な魂、精神が宿れる体作りを通して健康というものに配慮していこうと思います。
明日は筋肉痛

2007/08/10

バーニーズ買収ならず

先日書いたブログの最終結果。
バーニーズ買収はユニクロが引く形で幕を下ろした。
理由は簡単、バーニーズ買収の額がこれ以上つりあがれば適性でないという判断。
確かにその通りで賢明な判断ではなかろうか。
当時バーニーズが買収された額は今回提示されている額の半分程度。
明らかに高い買い物であることは事実。

投機の色が濃いオイルマネーと戦っても不毛というものだと感じていた。
引き際も肝心ですよね。

偽ジョブズ現る

面白いブログがあってシリコンバレーで話題になっている。
それはアップルCEO、天才的ビジョナリー、スティーブ・ジョブズの偽者が書くブログ。
正体は判明しましたが、継続してブログは書くそうです。

ジョブズに興味をお持ちならどうぞ。
後日、彼についてブログに書こうと思ってます。

偽ジョブズ ブログ(英語)↓

http://fakesteve.blogspot.com/

日本語訳の記事は↓

http://japan.cnet.com/interview/tech/story/0,2000055961,20352351,00.htm

白旗あげるべからず

よく耳にする、「あの人は優秀だから」
よく口にする、「あの人はポテンシャルが高いから」
本当にそうなのだろうか?と私は感じてしまう今日この頃です。
確かにその人は優秀であり、ポテンシャル(潜在能力)も高いのかもしれない。
だから貴方は白旗振るのか?その人は別の世界の人間だから、雲の上の人だから恐れ多くて私なんか足元にも及ばない。そんなこと平気で言ってはいないだろうか。
私も私自身、平凡かそれ以下で自信なんて持ち合わせていなかったけど。
今はそんな考え方はしていない。
それは相手は同じ人間だから絶対に足元にも及ばないなんてことは本当はないのだということ。
優秀なと言われる人、ポテンシャルが高いと言われる人だってきっと現在に至るまで相当な努力をしてきたに違いない。きっとあこがれるような人や尊敬に値する人物と出会って自分もそうなりたいと強く願って、今に至っているに違いないはずである。
では、再度問いかけます。
貴方はそこまで本当に努力してみたのだろうか?ハンマー投げの室伏のように体を鍛えたのか、イチローのように毎日コツコツと素振りを飽きずにやり続け、フォームを丹念に確認したのだろうか。
私が言いたいのは、つまりそういうことである。
きっと「あの人は優秀だから」と言ってしまう人はそれを盾にして自分を防衛しているのではないか。
努力もせずに白旗ぶんぶん振ってるんのではないかである。
絶対に諦めてはいけない。必ず我々凡人が優秀といわれる人々と同じ土俵で競い合うことが何か1つはあるはずです。
好きこそ物の上手なれと言いますが、なんでもいいから打ち込んでみて欲しい。
何でもいいから誰よりも一生懸命努力をして欲しい。
必ずそこに違った自分を発見できるはずである。
以前、立ち読みした本で、タイトルすら覚えてないが、本1冊の中で唯一いい文章があった。

「金持ちは金持ちだから金持ちである。」

「貧乏は貧乏だから貧乏である。」

なんて単純な論理なのか。
つまりこういうことである。
金持ちは金持ちならではの意識と行動をする。
当然インプットもそれなりの所得を産み出すものであり、それなりの人々と普通につきあう。
貧乏は貧乏なりの意識と行動をする。
貧乏であることを受け入れ、貧乏生活を送れるだけの稼ぎを産み出す。
インプットや行動をしている。
だから宝くじで3億円当たってもすっからかんになる。
なぜなら3億円はたまたま転がり込んだもので、分不相応なものだから垂れ流すように使ってしまい。
結局1円も残らない。
金持ちはお金の運用に長けているから3億円あっても普通に運用してしまうというロジックである。

なるほど。

私が白旗あげるべからずで言わんとしていたことと一致するではないか。
だけど卑屈になるもんじゃない。
私も貧乏だから(笑)

私が知っている社内の上司と飲んだときのことだ。
小銭なんか貯めるな。
お金は使う物だ。
使いたければもっと稼げ。
それに見合ったポジションとお金が流れてくる。

確かに。

最近、私はPCを2台デスクトップとノートを購入した。
妻へは俺に投資しろ。
必ず将来大きなリターンになると言いました。
目先の十数万なんて自分が成長すれば、あっという間に返ってくるから心配ない。
そんな小銭であれこれ考えるより先行投資しようと。
株より、よほど貴方は貴方自身に投資したほうが大きな利益を受ける可能性を持っていることを忘れないで欲しい。
是非、自分へ投資しようではないか。

白旗あげるべからず。

2007/08/08

カシミヤ原料高騰と品質問題

先日、繊研新聞でカシミヤの原料高騰という記事が目に留まった。
原料は高くなるが、消費者は安くて質の高いものを貪欲に求めるため
小売価格設定が原料代にも満たないため受注を断ったと言う内容。
となれば、どのような現象が起こりうるかは簡単に想像がつく。
そうミートホープでも問題になった手口のように混毛でカシミヤの量を水増しするという偽装カシミヤである。
カシミヤ製品は前年と同じ価格設定では品質を維持するのは難しいのが現実のようであり、通常は小売価格で1万円~1万2千円が妥当。
これを下回るには大量生産しかないのだが、果たして品質は維持できるのであろうか。
例えば中国の生産、品質管理体制が十分に機能しない場合、粗悪品が大量に消費者の元に流れ込むようなことが発生しかねないため、極端に安い商品については品質を疑わざるを得ないのが現状か。
やはりカシミヤ100%のセーターは高価な稀少品なのである。

衣料品の偽装も問題だが、食料品の偽装だけは健康や生死にかかわることなので、笑えない。
作る側には是非ともモラルをもってもらいたいものである。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070808i105.htm

バーニーズ買収劇

巷で話題のバーニーズ買収劇、同じアパレル業界で店長をやっている私にとっては非常に時代の変化を感じます。
だってユニクロとアラブの投資会社イスティスマルつまりオイルマネーがバーニーズを競う世の中です。
どうなんですかね、これは?
私たちアパレルの店長は投資についてや、事業についてももっと知らないといけないということになりますよね。
だってそうでしょ明日からバーニーズに行ってくださいといわれるかもしれないし、もしかしたら自分の会社が買収されることだってあるんですから。
これは店長としても経済や金融の世界にも通じてないといけないということに他ならない案件だと、私はつくづく感じてしまうんです。

自分を磨くために

店長としての自分を磨くために自己啓発の方法をあれこれと考えてみた。

①ポジションが個を大きく成長する可能性が高い。
②良質なインプットが良質なアウトプットを生む。
③人として磨かれているべきである。

①については凄くシンプルだが、皆が皆、役職や階級がアップして初めて感じるプレッシャーや問題発生、スピード感様々あると思うが、結局普通に仕事をしていても、それなりのポジションしか与えられないのが事実です。そこで視点をあげることを常に意識すると比較的正しいジャッジもできるし、適切な上司コントロールもできるようになると感じています。
つまり、店長ならハイクラスの店長や地区長、ブロック長や部長、経営者の視点で物事や会社の現状を見る、そして問題を発見して解決をしてみる(またはシュミレーションしてみる)
こんなことを繰り返すだけで随分と変わるものです。
または上司の仕事の一部を負担してしまう。積極的にやらして欲しいとお願いすれば悪い顔をする上司はいませんし、上司自体も仕事が軽減されるのでありがたいはずです。どんどん引き受けてしまえば自然に1ランク上の仕事ぐらいなら体感できます。このようにして擬似的にポジションをあげて自分の成長を促すのもいいのかもしれません。
但し本来の店長業を疎かにすると物凄く恥ずかしいので気をつけましょう。

②良質なインプットが良質なアウトプットを生むというのは、やはり店長たるもの世の中の事は知っていて当然だという認識が必要だと思います。
当然新聞やニュースぐらいは当たり前ですが、しっかりと自己を磨くような読書なんかは絶対に必要だと思います。
先日、電車の中で疑問に感じたことがあります。
サラリーマンが日経新聞を読んでました。あたりを見回すと結構な人数が日経新聞を読んでいたんです。そこで考えました。どうしてこんなにたくさんの方々が日経新聞を読んでいるのに、こんなに豊かじゃないんだろうと…
それはつまりインプットはしているけどアウトプットが貧弱なのではないかという仮説に至りました。
知っているのは皆知っているんです。特にインターネットが普及した現代では、知らないことがあれば瞬時に検索して答えを見つけることが可能になりました。
しかしアウトプットすること、考えて発言する、色々な現象を照らし合わせて全体観をつかんだり想像的な知的労働に長けていないがために、単なる日経新聞を読むというルーチン業務に溺れている人々が多いのではないかと私なりの結論を導き出しました。
だから、常に考えることは必要なのです。頭を使って自分なりの考えをまとめて、そして積極的に発言することこそが自己啓発につながるポイントだと私は考えます。
それをやらないと②は成立しません。

③人として磨かれるというのは人生経験もそうですが、なぜか大成した方は歴史をよく知っておられたり思想についてもよく知っている方が多い。
哲学は知を愛する学問であり、全ての学問のルーツと言っても過言ではない。
つまり考える、徹底して深く考えることを追究していくこと。
また生と死についても人間として直面することであり、ビジネスをやる上でも遠いようで近い、原理原則に値するのだと思う。
人を育てようと思えば、自然に避けては通れない分野なのかもしれません。
そんなわけで、今年の夏の休暇はたまたま妻の祖父の実家にあった孔子を拝借して読みふけってみました。
荘子や老子の思想なんかも合わせて読んで見ましたが、なかなか深い内容です。

ところで、わからない単語や語句がでてきたらどうしてますか?
すぐに調べてますか?
そのまま放置はいけませんが、
携帯電話しかなくてわざわざネットにアクセスしなくても
簡単にメールで調べられる方法があるので使って見てください。
宛先 g@google.jp
題名 無題のまま
内容 検索したい単語+とは
    とはをつけると説明文が検索に引っかかるので便利です

セカンドライフの可能性について

セカンドライフを知っている人は知っていると思いますが、知らない人は老後の人生?離婚後の生活?なんて想像するかもしれません。
セカンドライフは米国のリンデンラボ社(未上場)が作った仮想空間(メタバース)に自分の分身であるアバターを使って、そのバーチャルな世界で生活したり遊んだり商売したり学んだりすることができるものなんです。当然メタバース内には世界の人々や企業や学校も実在しており、会話したり踊ったり、それこそ我々が行っているようなこと+αが実現可能なわけです。
これだけだと只のネットゲームですが、ポイントは、この世界で使う通貨のリンデンドルが米ドルと換金できる点です。
ここが我々の世界と通じている点で、最大の魅力なのかもしれません。
しかもこの世界の中で服とか建物とか自分で自由に作成したものは所有権は自分になり、価格設定もできるし、土地も我々実世界の千分の一程度なので夢の一戸建て(笑)すら持つことができるんです。
もちろん店を持つこともできる。
そうした背景があり、企業もしっかりと将来の可能性を見据えて進出しているのですね。
車も作って普通に動かせるから新車の試乗をセカンドライフで!なんてこともやってます。
驚異的なビジネスの種であることは明らかだとおもいますが、今やすっかり有名になったグーグルアースも似たようなものです。地球をネット上に再現しているようなものですし、マイクロソフトも同様にリンデンラボに対抗する仮想空間の構築を進めているようです。
2社が目指すのは地球をあっち側で再現すること、リンデンラボは創造的な新世界という点が似ても異なるところですが、私が思うにリンデンラボがグーグルに吸収されたらどうなるのか?
爆発的な進化を遂げてしまう気がしてなりません。
これは対抗ではなく、コラボレーションです。
物凄い潜在能力を感じます。
もう少し話しをそらすと、リンデンドルという通貨と米ドルの換金について、リンデンドルが増えれば米ドルに対する力加減も気になるところです。
リンデンドルが出回りすぎれば、価値は下がっていく、要するに現実世界の市場と同じようなことがあちらでも起こりうるということです。
当然、現在の市場至上主義社会では投資が盛んですよね。そうするとあちらの世界でもこのような激しい競争が流れ込んでいくと私は思っています。
これはまた別の話として興味深いですよね。

さてセカンドライフではもっと違った視点から見ると面白いことが起こってます。
それは公開講義です。
つまり学ぶということについても新たな挑戦がはじまっています。
現実世界でもサイバー大学が先日開講しましたが、セカンドライフ内でもセミナーや講義を聴くことができる時代になりました。
しかも無料という点が私には非常にありがたい。学校とはお金を払って教えてもらうところ、から学校とは学びたいひとが集まって学ぶところ時に無料(笑)という認識に最近私はなりました。
私もブログで書いたと思いますが、ブックサーチに慶応義塾大学が協力した話ですが、ここでも慶応義塾大学が無料で講義を8月下旬ああたりから実施するそうです。

どうでしょうかわくわくしませんか?
私は好奇心旺盛なので仕事とは関係ないことでも興味津々で首を突っ込んでいきます。
いいのか悪いのかはわかりませんが、結構人生が充実していると感じてます。

セカンドライフをやるにはPCの性能が高くないと上手く動作しないようです。
実は私のPCも駄目ですね(笑)
だからデスクトップとノートを最新鋭に買い換えます(笑)
来週には届くようなので自分の分身で、セカンドライフでどんなことができるのか
想像力をフル回転してみようと思います。
お小遣いが少ないので小遣い稼ぎできたらいいかもしれませんね
もうアイデアはいっぱいあるので実践してみようと思います。

もしかしたら現実世界でもあっちの世界でも店長なんてのも面白いかもしれません。

2007/08/06

店長職のサバイバル

店長職のサバイバルについて
はじめに店長職について書かせて頂いたときに触れましたが、我々星の数程、世界に存在している
店長は店長職というステージで競い合っているようなものです。
「フラット化する世界」にも書かれているようなことが平気で我々の隣で起こっているのです。
例えば、会計士にしても米国では簡単な書類作成ならインドの会社へアウトソーシングするそうです。
またシステムエンジニアについても簡単な、そして単調なプログラミングなら安い人件費で海外へ外部委託して事を済ませる時代。悲惨なのはわざわざ海を渡って英語を教えに来るネイティブスピーカー、たくさん未だ日本では見かけますが、なまりだらけ、ライセンスも微妙な教師が多く、そこで習う生徒は大変だと思います。今や時代はインターネットを通じてインド人の先生に英語を習うとか、彼らは仕事に対して貪欲なので綺麗な英語を話せる人材も豊富らしいです。
時空を越えたインターネットの特権を使って、我々の仕事は低賃金の海外勢に奪われていくのが現実です。もしかしたら店長職も危ないのでは?というのが私の考えで、隣の店舗に若くて優秀な外国人(しかも今までは発展途上国家と呼ばれていた国々の人々)がやってきて共に仕事をする世の中になるかもしれませんね。
そうゆうわけで店長職での生き残りについて考えて見ました。
皆さんは毎日毎日、店長としての仕事をこなしていると思いますが、ルーチン業務はやってますよね?
決められたことを決められた時間や一定の時間でこなしていく例のあれです。
あんなのは私は今後無意味な仕事としてやるべきでないと思います。
印鑑を押すのに何も意味はない。
なんの生産性もないんです。
あんなことを徹底的にできたところで会社は強くならないし、今以上の成果は挙げられませんよ。
但し重要なことであるのも事実ですので、店長としては、この判子を押す担当を鍛えて絶対にエラーがでないように仕込むことです。
またその他のルーチンと呼ばれている仕事は部下を育ててさっさと引退しましょう。

では店長は何をすべきか?
それは創造的な知的労働をすべきだと思います。
昔はブルーカラーと呼ばれる肉体労働がアウトソーシングの中心でしたが、今や知的労働がその対象、それは先程述べた通りです。
だからこれから生き残るためには創造的な知的労働に時間を使っていくことです。
具体的には何でしょうか。
それは売上げを200%にする方法とか、非常に困難で常識という前提の前に未だ考えて見たり、挑戦してみなかったことです。
もっと我々店長陣は革新的な仕事を創り出すこと。
無駄で不毛な仕事を排除していくことに集中力を割かなければなりません。
グーグルという会社は自分の持ち時間の80%を使って絶対にやらなければならない仕事をこなし、残りの20%を自分の研究や新たな挑戦に当てているそうです。
どうでしょうか。店長は店長として与えられたことだけをやっていればいいとか、これで十分とか考えてはいないでしょうか。
そうではなくて、やはりさっさと自分の仕事をきっちり80%の時間で120%の成果を挙げつつ、20%の時間を使って会社を変革してしまう、世の中をより良くしてしまうような仕事を我々はすべきなのではないでしょうか。
特に自分の明日より1年先や3年先を見据えてしっかりと学んでいくことも大切な仕事と私は考えます。
店長職というステージで生き残るためにはコモディティ化してしまった知的労働でなく創造的な知的労働が求められているのではないでしょうか。

私も生き残るために、この点に集中していく次第です。

美しく強い日本

美しい日本というと、どこかで聴いたフレーズだが、美しく強い日本について少しお話をしましょう。
グーグルはご存知でしょうか?検索エンジンじゃない?
そうですよね、確かに検索エンジンですが、この企業はとても凄いことをやってのけました。
全世界にある本という本をさくさくコンピュータに取り込んではそれをネットで公開してくれているのです。日本でも慶応大学が先駆けて図書館にある大量の貴重な情報を提供してくれたおかげで、もう閲覧することができるんです。
詳しくはブックサーチっていうのをお試しください。
これ中身が読めるんです無料で。
アマゾンという企業が立ち読み感覚でちょい読みやってますが、全文行っちゃうところが素敵ですね。
えっ?何が言いたいかって、それはよく考えて欲しいんだけど日本語圏は日本だけ、基本は日本人のプラットホームの中でしか活動していない。
だけど英語圏はそれこそかなりの人口がそのプラットホームに参加しているから、情報量も多く質も高い、特に世界の最先端、アメリカがアウトプットする情報が英語という点が我々日本人、特に英語がわからないローカル人材には凄くビハインドだってことです。
それじゃタイトルと違う、弱っちい日本ですよね。
これからが私の考えです。
大した論理や情報とかではなく、単純に今日の夕方家族で近所の商店街のお祭りを見に行ったとき感じたんです。日本て凄いと
とっても小さなローカル商店街なのに人が大勢繰り出していて商店街は活気に満ち溢れ、阿波踊りを踊るグループがそれぞれの個性を出しながら陽気に真剣に踊っている。
彼らの情熱と集中力、それを見守る人々の視線を見ていると、この民族は何かを成し遂げるセンスを持っていると感じたんです。
和太鼓の心臓まで響くあの感じ凄い力強さと踊りの美しさに感動しました。
だから美しく強い日本なんです。
こんな商店街でこれだけパワーがあるなら世界だって動かせる。
私はそう思います。

話は変わるが、最近失言で話題になった麻生太郎さんも、日本について本を書かれてます。
いくつか賛同できる内容があるので参考になさってみてはどうでしょうか。








スコットランドのエジンバラに行くとスコティッシュパイプを道端で吹いてます。
彼らにも彼らの誇りをその国旗と音から感じ取ることができました。
人間っていうのは素晴らしいものなんですね。

2004年8月3日という日

2004年8月3日という日から8月3日は私に取って深い意味を持つ日となった。
ひとりの友人であり、部下でもあった人物が亡くなった日だからである。
それからというもの自分のリーダーシップに対して随分と考える日々が続いた。
1年、2年、ことあるごとに思い出しては考える日々であった。
毎年、この日はお墓を訪れることにしている。
そしていつも初心に帰る、原点回帰する。
とても大切な日である。
自分という物を見つめなおす、そんな日である。
そして彼の意思を継いで、私は私なりのささやかな目標を立てている。
誰にも言わないが、絶対に達成しようと思っている。
彼は彼の人生を全うした。
私も私の人生を全うしようと思う。

今年も蝉の声と豊かな緑に囲まれて彼は笑顔で佇んでいた。

2007/08/05

変化を遂げるインターネットの世界

変化を遂げるインターネットの世界について

インターネットよりも前のお話からいたしましょう。
わたしが幼少の頃、今でこそパソコンなんてありふれてコモディティ化してますが、あの頃は全く貴重な存在でした。ご存知の方は私と同様に当時のパソコンと現在のパソコンの進化を驚いておられると思います。
当時はテープでマシン語というものを延々と数時間流し続けてようやくソフトが起動するような状態で、それはそれは1日使ってようやくゲームが楽しめるような状態でした。
バグがでると巻き戻してはじめからやり直し、とてつもなく不便でしたが、そこには出来栄えのいいゲームをやりたいという子供ならではの強い欲求で耐えていたものです。
クラスに2名ほどパソコンを持っているご家庭があったので、よく週末になるとお邪魔してました。
今考えると非常に珍しいことだったのかもしれません。SE(システムエンジニア)なんて職業が存在すること自体、世間にはあまり知られていなかったように思います。
その後ファミコンが登場し一気にゲームの世界が変わりました。
カセットを入れればすぐに起動して遊べる、それでいて動きもいい、コントロールもしやすい(ユーザーインターフェイス)子供の世界にも革命が起きました。
当時はコンピューター=ゲームという私の中の常識が作られていました。
それから随分と時が流れ、インターネットとかITという言葉を良く耳にするようになり、当たり前の様にPCという存在が受け入れられている世の中になっておりました。
ホームページを作る企業や個人が爆発的に増え、携帯端末でも閲覧できるようになったのが当時は新鮮でしたが、間もなくITバブルがはじけました。
確かにIT、ITと声高に叫ばれていたが一体何が変わったのか。
だからどうした?という言葉で何一つ革新的ではなかったことが今振り返ると事実であったと思います。
それにアクセス自体も時間を要したし、そもそも使っているひとと使っていないひともくっきりと分かれていました。
そして現在、めまぐるしい進化を遂げてインターネットの世界が広がっている。
その技術の進化は半端ではなく、スピードは恐ろしいぐらい速い。
私がここでボタンをクリックした瞬間に世界にアップされてしまう、この異常さ、そして誰でも平等に表現できる自由と、もしかしたら世界のどこかで日本語がわかる誰かが読んでくれる可能性すら存在する。
「フラット化する世界」や「ウェブ進化論」などを読んでいると更によく現在起こっていることが理解できると思います。

そして私がブログを書く理由もグーグルという企業の価値観や理念に賛同し、私が生きている長くて100年たった一瞬の人生でも、これからの世界では生きた証として後世、特にわたしの子供に私自身の価値観や生き方を将来、私が他界した後でも見たり、聞いたりできるようにしたいと強く思ったからである。
彼らは私の目標を叶える世界を創り上げていく。
それは素晴らしいことでもあり未知の世界への不安でもあると思う。でもこれが私たちの目の前にある、あちらの世界の現実なのではないでしょうか。そんなことも考えながら私は未来へのメッセージを書き出した。
そして何より、この空間に与えられる私の容量が多いので、私はここを選びました。
でないと消えてしまいます。
でないと打ち込める情報に頭打ちがきてしまいます(笑)
上記2冊は是非読んで見て欲しいです。
店長職にも確実にITの荒波が押し寄せてきます。

店長職について

店長職について考える。
会社には経営者がいる、会社のトップがちょくちょく入れ替わることをよく耳にしたり目にしたりすることが、随分と多くなった。私が小さい頃のイメージだと会社はそれこそ一生同じ経営者か同族による相続で成り立っていると思っていたが、現実はそうではないらしい。
社長は社長業であり、社長をこなしていく。そんな仕事のスタイルがあるのだなと思うようになった。
米国、特にシリコンバレーでは、たくさんのベンチャー企業が誕生し、優秀な技術者や投資家を募るためのベンチャーキャピタリストも必要とされるが、更には優秀なCEOを招き入れることができるかも
非常に重要な要素であるに違いない。
そんなわけで、店長職について考えたところ、世の中には店長が星の数ほど存在しているわけで、八百屋だろうが、洋服屋だろうが、アイスクリーム屋だろうが、レストランだろうが、飲み屋だろうが、「店長」という職階の人物=現場管理者により店舗運営がなされている。
わたしは今、カジュアル衣料チェーンの店長をやっているが、たまに思うことがある。
誰しも思うことだと思うが、この会社で一生働いていくのか?である。
答えはYESでもありNOでもあると思うが、それでは私は次にどんな仕事をやるのか。またできるのであろうかと不安に感じることもある。
やはり常日頃からの心構えが重要だと感じてしまう。
自分の強みは何かを良く考えておかないと、いざというときどうしようもないもので、特に現在の仕事でもそうなのだが、強みを持ってどんな成果を挙げられるかが自分と言う人間に期待される仕事であり、それをもって存在価値になる。これは社内のお話。
社外ではどうかと言うと、全く同じで店長職として何ができるかがおそらく転職する際のアピールポイントである。
シリコンバレーでの話とステージは異なるが我々星の数ほど存在する店長の中で、生き残るためには店長職というものを極めて、オファーが来るぐらいにならないといけないのである。
これが私の店長職に対する基本的な考え方である。
つまり明日から私がスタバの店長をやれと言われれば即店長として十分機能しなければならない。明日からスーパーマーケットの店長をやれと言われれば即店長として十分な成果を挙げていかなければならない。そんなこと本当に可能か?と思われるかもしれないが、私は可能だと考えている。
なぜなら店長職にはどこでも通用する原理原則があるからである。この原理原則に反することなく仕事を行えば一定の成果ぐらいなら出せると信じている。
経験がなければできないのであれば、それは店長職というものの本質を理解していないのかもしれない。

明日から異業種の店長をあなたはできるだろうか?