ずっと気になって知ってはいたが読まなかった本の1つに「バカの壁」がある。
今朝は簡単にバカの壁について書こうと思う。
著者、養老孟司さんはこう説く。
人間にはバカの壁が存在している、つまり井の中の蛙である。
井戸に落ちる、住むというより蛙が井戸をせっせと作っているイメージ。
わかったつもりがわかっていないということや意識と無意識など様々な二元論で話をまとめている。
人間はほとんど二元論の中で生活をしており、2つの天秤のバランスを取るという不安定さの中で生きている。不安定さゆえに、ついつい一元論という楽な方向へ流されてしまいかねない。
その通り、全て明確で決まりきっている絶対的な何かに基づいて生きるということは楽である。
反対に現実はそんなに何でもはっきりしていることなどない不確定な世界、それゆえ人間は悩み、考える、それは自然なことであり、受け入れるべきである。ということ。
全体を通して2つ私の考えとズレを感じる点があった。
著書で、個性は脳でなく身体に宿っているという言葉があるが、私はこのように考える。
①イチローはイチローの体が個性でマネできないというが、イチローの身体能力(養老さんは個性と読んでいるもの)を開花させたのは彼の脳である。ポテンシャルを覚醒させたのは、彼の脳であるから脳が個性の一部でもあるのではないか。
②全ての事柄は静と動で現される。動、つまり行動のルーツは意識や思考であると考えることができる。よって個性とはバリエーション思考ということはできないだろうか。
という2点が著者と私の考え方の微妙なズレだと感じた。もちろん、私より遥かに素晴らしい個である。
養老さんの方が信憑性が高い気もしますが、養老さんが求めていることは、私のように自分なりの意見や考えを持つことに意味があるということだとメッセージを受け取った。
自分の意見を言えるということは、しっかりと考えた上でのアウトプットでありインプットもしっかりとなされている、私は他と自分の二元論のバランスを取ったことになるのかもしれない。
ここで1つ面白いというか考えさせる内容が、この本ともう1冊過去に呼んだ東大式情報学という本の中に一致している内容と相反する内容があったので書き留めておこうと思う。
共通項はオウム真理教による事件である。
この事件について両氏ともに同じ感覚を持っている。それは本来自分達が未来へ導く学生が間違った方向に流された結果、事件を起こした側に入っていたこと。
それも優秀で世界でもトップクラスの才能が堕ちたわけを相当考えられていることである。
それは指導者として衝撃的な事件であったこと、それをなんとかしたいという思いがそれぞれの本の中にも見ることができた。
不思議なのは、同じ方向を向いてはいるが、それぞれの本の中に出てくる「知の技法」については、肯定派と否定派になっていること。
人間とは本当にアプローチが様々なんだと感じさせるものでした。
面白いですね。