ワークライフバランスという言葉が盛んに使われるようになってきました。
つまり仕事と生活の調和である。
仕事も充実させ、仕事以外、家庭や自己啓発、ボランティアなども充実させることで、社会も活性化していきましょうというような素晴らしい提案である。
長時間労働などの労働環境の改善、ノー残業デーなどがよく聞かれる具体的な取り組みの1つである。
私が警鐘を鳴らしたいのは、正しいことが常に人々全員を幸せにするということではない。である。
このワークライフバランスについて、極論ずればの話になるが、世間に存在する細かい仕組みを全部取り払ってシンプルに考えた仮説を紹介したいと思う。
ここに完全実力主義とハードワークで有名な会社がある。
初年度の年収は会社の評価軸に則り、週当たり平均54アウトプット(仕事の成果の単位とする)できる社員に対して450万円としている。
これは生産性が向上して、アウトプットが54を超えるとそれに連動して年収も増えていく、もしくは減っていくという完全実力主義的制度である。
またハードワークで有名なこの会社の社員の平均労働時間は週当たり60時間
週休2日間、出勤5日間の平均労働時間は12時間程度。
この会社に未来の希望を背負って3名の若者が入社をしました。
社員A:年率成長率30% 基本アウトプット 労働時間に対して90%
社員B:年率成長率15% 基本アウトプット 労働時間に対して80%
社員C:年率成長率5% 基本アウトプット 労働時間に対して70%
社員Aはいわゆる有能な社員、社員Bは標準的な社員、社員Cは努力が必要な社員というのは
上の設定から見ても理解してもらえると思う。
実際、世の中には優秀な人材もいれば、そうでないひともいる。これになんの不思議もない。
この会社の平均労働時間、60時間つまり週当たりの社員3名のアウトプットは
社員A:60時間×90%=54アウトプット
社員B:60時間×80%=48アウトプット
社員C:60時間×70%=42アウトプット
ということになる。
初年度の年収 週当たり54アウトプットで450万円頂くには社員Aの水準を求めているというのが
この会社が完全実力主義、ハードワークで有名である所以なのかもしれないが、
54アウトプットを超えれば年収は増えるため、これもまた1つの魅力なのかもしれない。
注目すべきは社員Bと社員Cである。
平均労働時間の60時間ではそれぞれ48と42アウトプットと有能な社員Aには及ばない仕事の成果である。450万円もらうには54アウトプットしなければならない。
そこで社員Bと社員Cは考えた。
答えは簡単、努力することである。
社員A:60時間で54アウトプットに匹敵する仕事をするには
社員B:67.5時間×80%=54アウトプット
社員C77.1時間×70%≒54アウトプット
とめでたく社員3名 週平均の54アウトプット達成に至る。
つまり社員Bは不足していたアウトプットを労働時間を1.125倍(努力)にすることで補った。
社員Cは不足していたアウトプットを労働時間を1.285倍(努力)にすることで補った。
イメージとしては、社員Bは1日休日出勤して定時の8時間で帰宅。
社員Cは1日休日出勤して定時の8時間で帰宅し他の出勤日は平均12時間の
労働時間を14時間と2時間更に残業することで補ったのである。
こんなような日々が1年続き、3名は晴れて新入社員から卒業2年目に突入した。
そして社会ワークライフバランスが盛んにもてはやされる世の中になった。
完全実力主義とハードワークで有名なこの会社にも転機が訪れた。
社会的な立場もあるし、週平均60時間であった労働時間を50時間にしようじゃないか。
ワークライフバランスでみんなが豊かになろうじゃないか、そうノー残業デーの導入である。
これによって労働環境は整備され、週の平均労働時間は50時間になった。
50時間が労働時間の上限になってしまったのである。
話を3名の社員に戻そう。
2年目になった社員の基本的な能力は変化した。
社員A:年率成長率30%ゆえ平均労働時間60時間での生産性は
54アウトプット⇒70.2アウトプットに成長
社員B:年率成長率15%ゆえ平均労働時間60時間での生産性は
48アウトプット⇒55.2アウトプットに成長
社員C:年率成長率5%ゆえ平均労働時間60時間での生産性は
42アウトプット⇒44.1アウトプット
ここには前提条件が発生する。
■平均労働時間が60時間だったのが、強制的に50時間へ制限される
■公休取得が義務ずけられ、完全週休2日制とノー残業デー
イメージとしては5日間平均10時間つまり2時間程度の残業までが許容範囲となった。
よって2年目の社員3名の生産性は
社員A:週平均労働時間50時間当たりの生産性 70.2×5/6=58.5アウトプット
社員B:週平均労働時間50時間当たりの生産性 55.2×5/6=46アウトプット
社員C:週平均労働時間50時間当たりの生産性 44.1×5/6=36.75アウトプット
実力連動性の年収に換算すると 週平均54アウトプットで450万円なので
社員A:58.5÷54×450=487万円と年収37万円アップ
社員B:46÷54×450=383万円で67万円ダウン
社員C:36.75÷54=306万円で99万円と大幅ダウン
2名は自由な時間と引き換えにワーキングプアの仲間入りを果たしましたとさ、ちゃんちゃんとなる。
この条件下で社員Bが初年度、努力によって貰っていた年収450万円に返り咲くには3年を要する。
もっと悲惨な社員C君は初年度、努力によって貰っていた年収450万円に返り咲くのには、なんと
10年間を要するシュミレーションとなった。
つまりワークライフバランスという名の正しい取り組みによって皆が豊かになるという耳障りの良い幻想に踊らされて社員Bと社員Cが直面するのは、言うなればソフトワーキングプアという新しい貧困層への仲間入りという厳しい現実であり、そこそこ働いて自由時間があるんだけど、収入は年々減少していくというワーキングプアの新バージョン、ソフトワーキングによるプアへのソフトランディングに他ならないのではないか。
格差社会の綿密に設計されて皆の為の豊かな実りある取り組みという大儀名分によってカモジュラージュされた周到な罠なのかもしれない。
所得格差の増幅装置、幸せや豊かさ格差の増幅装置としての危険をはらんだ、このワークライフバランスは諸手をあげて万歳では済まされない、実は過激な格差メカニズムの装置なのかもしれない。
生産性もあがらず、狂牛病のようにスカスカに成り果てたスポンジのような脳みそぶらさげたゾンビ社員が社内を徘徊するような社会や会社があふれかえるのも時間の問題なのかもしれない。
補足。
ワークライフバランスによってもたらされた自由な時間を社員Aは自己啓発に社員Bはお友達と遊ぶために、社員Cはダラダラ寝て過ごした。
結果、やっぱり格差は広がり、どうにもならくなりました。
ところが一部社員Bと社員Cが、あることに気が付いた。
それは努力によって生産性が変動していく、変動要素が時間と成長率の2つであることに気が付いた。
つまり、やっぱり不足している生産性は時間という努力で補うしかないということ。
優秀な社員Aを遥かに上回る努力によってしか報われない現実を直視したこと。
その中でも、もっと大切なことに気づいた一部の社員Bと社員Cがいた。それは時間という制限がある場合は成長率をあげれば、生産性を補うことができるということである。
成長率をあげるにはどうしたらいいのか、必死に考えた一部の社員Bと社員Cは、やはり時間を使って自分を磨く以外に有能な社員Aと並ぶ方法はないという結論に至った。
彼らは自由時間を利用してせっせと成長率をあげるため時間を使うという努力に徹した結果、この負のスパイラルから脱出することができました。
めでたしめでたし
だから人生では何よりも「時間」が貴重であり、ビジネス界でも「時間」が一番貴重である。
平等だからこそ不平等な全員に与えられた共通の「時間」
なにに使うかは貴方次第なのである。
ワークライフバランスというものは光と影である。
2007/08/21
ワークライフバランスに一石投じる
ラベル: 社会