2009/02/27

モノ

モノというものは、人間の欲望を掻き立てる、モノを手に入れるには基本的にはお金が必要で、それを手に入れるために人間は強欲になる。しかしモノというものは時として人間の絆をつなぎとめる驚くべき力を秘めている。そこには、その人間にしかわからない様々な思いや記憶が詰まっている。モノは心の拠り所を失ったときの担保になる。よくモノよりもココロという言葉が重んじられるが、ココロを失ったとき、モノは失ったココロをつなぎとめる碇のような役割を果たしてくれる。私はたくさんモノを所有することが嫌いで、コンパクトにシンプルにというのを好み、整理整頓の整理の部分をいつも意識しているが、モノで溢れかえった散らかった部屋には不思議とヒトのココロを温めてくれる記憶が漂っている。そしてなぜ、そのモノがそこにあるのか、そのモノの所有者のココロを察することができる。物欲に乏しい私がはじめてモノの偉大さを感じた瞬間だ。食器を見つめて欲しい、どんな料理がそこに盛られていたか、それを食べるとき、誰とどんな会話をしたか、どんな表情だったのか。そういうふうにモノと接することができれば人間はもっと豊かになれるのだろうに。

2009/02/25

日本的雇用慣行と香港的雇用慣行

いわゆる日本的雇用慣行の特徴をなすのは,終身雇用,年功賃金,企業別労働組合の3 要素であるといわれる。という書き出しからはじまる興味深い記事、では香港的雇用慣行とは何かが私のお題目であった。退出障壁の高い日本と低い香港、産業構造上、第三次産業の比率が6割を超える経済発展後期の成熟した日本と香港(シンガポールも同様)、モラル・ハザードの相違点、こうした事柄から、香港の実態を捉えるとともに事業拡大や事業の成熟のための知恵としてゆきたい。

2009/02/24

ウォール街メガバンクCEO達の笑み

ウォール街メガバンクCEO達が揃って証人喚問されている時の自信に満ち溢れた笑みが不適切だと思う。「大き過ぎてつぶせない」そんなメガバンクのTOp達、すこぶる頭脳明晰であっても良識に欠け、経営管理能力なし。

肌で感じて考えられるということ

肌で感じて考えられるということは、やはり凄いことだ。日本の情報は表面的にはさらっていても、実際に日本にいて日々ニュースに目を通し、母国語で情報を収集できるということは、それだけでも大きなアドバンテージであり圧倒的に違いがある。雇用問題1つとっても、日本の雇用問題と中国の雇用問題を考えるときでは温度差が違う。やはり当事者意識というか、生まれ育った国で自分が体感してきた社会情勢について考えるということは1歩も2歩踏み込み具合が違う。ということは裏を返すと、それぐらい踏み込まないと深く考え抜くことができなず、自分なりの答えを導き出すことに大変な労力を要するということは明らかだということだろう。

2009/02/23

携帯電話復活

日本の携帯電話の修理が完了しました。
(日本滞在中はこちらにご連絡をお願い致します)

香港にお越しの際は、香港社用携帯までどうぞ。

Gmailは国内外問わず、常に確認しています。
宜しくお願いします。

日本の活気

久しぶりに祖国の土を踏んで感じたのは、活気のなさ。人々に元気がない。街に活気がない。灰色の雰囲気だ。特に私はよくヒトの瞳を見るようにしている。目が死んでいるヒトは要注意、知らず知らずのうちに不幸を呼び寄せているかもしれません。シャッターが閉じたお店も目立っていますし、町並みも随分と変化していました。香港は、日本と比較すると大きな違いは活力でしょうか。このような世界情勢でも、お年よりも元気、学生もわりと涼しい顔していますし、年末年始の飾りつけも手抜きなく、こんなご時勢だからと言わんばかりに派手でしたし、そうゆうところは見習わないといけないかもしれないですね。日本は。

失われてゆく記憶

日本への一時帰国を利用して祖母の家を訪ねた。私が日本を離れている間にアルツハイマーと診断された祖母の状況が心配で、直接自宅に足を運んだ。誰でも年をとれば足腰の不自由や病気の1つや2つはするものだと思っている私でも、5時間ほど一緒に話してみて、改めて病状の深刻さを実感した。私は幼少の頃からおばあちゃんっこで育ち、時間があれば、成人してからもちょくちょく祖母宅へ足を運び一緒にお茶を飲んだり、色々な話をして時間を過ごした。祖母は看護婦をしていたこともあり、病気については人一倍詳しく、自身が心臓肥大という病気を患ってからも、冷静に自分と向き合ってきたであろう、様々な書籍が山積みされている室内の様子からもうかがえる。また精神科にいたこともあり、心理学や人間行動学に関する書籍もたくさんあった。そんな祖母ですら、アルツハイマーという病気にかかっては、自分自身がお茶っぱ1つどこに置いているのか忘れてしまう。いつ帰国したのか聞かれて答えた瞬間に、その答えを忘れてしまい、同じ質問をすぐにしてくるというような状況に、私は呆然としてしまった。想像よりもずっと厳しい病状だとすぐに認識した。私の赴任している香港すら、もう覚えていない。着実に祖母の記憶から私達の存在が消されてゆくのを肌で感じた。陸軍で情報将校をしていた、おじいちゃんの仕事の内容すら覚えていない。私より祖母はずっと不安だろう。時間が許す限り足を運びたいと思う。父と母もすっかり年を取ったと思う。あと10年、20年もすれば私は貴方達抜きで、この世を生きなければならない。先に逝くような親不孝だけはしなようにしようと思う。