2011/03/31

サクラサケ

日本を象徴する「桜」、2011年3月11日を境界として、日本という国が随分と変化した。それでも日々季節は流れてゆき、復興を待つことなく春がやってくる。この日本の大地に再び桜を咲かせたい。桜には、そんな日本人の心が連綿と受け継がれている。この思いを噛み締めながら前進する。

教える時にもっとも学ぶ

教える時にもっとも学ぶ、教わる時より3倍学べるのはなぜか。


  • 明文化したり、自分の言葉としてアウトプットするということは、頭の中で考えたことの整理であり、効率よく伝えるために整頓をしなくてはならないからである。

  • そのプロセスにおいて、自らのロジックが破綻している部分に気づき、そこを穴埋めすることの作業により、知識はより一層その人間の血となり肉となりうる。

  • 磨き上げた英知を繰り返し他者に伝えるという反復作業は正に練習そのものである。

では、常に教える側にいたほうが恐ろしく成長できるのではないか、ということだが、教えることが単純な繰り返しになってしまっていては、決して3倍の成長はのぞめない。ブラッシュアップが必要だ。そこで実行すべきは、優れたトレーナーにつくこと。一旦は教わる側に回るが、新しく吸収したことをフル活用して、教える側に立つことで、3倍以上の学びを得ることができるのではないか。非凡なトレーナーがどのような点が優れており、どのような点に注意してトレーニーとして指南を受けるべきなのか。



  • 全体像をどのように捉えているのか、マクロとミクロの視点を自由自在にズームイン、ズームアウトさせるときの着眼点を盗み取る。

  • トレーニーのロジックが破綻しているところを見極めるために、どのような質問を投げかけ、確認を取るのか、またピンポイントで理解不足のところを、どのように補強してゆくのか、その具体的な方法と、根底をなす知識や教養を把握する。

  • 複雑怪奇なことを単純明快にステップダウンしているか、また記憶に残るようなインパクトを与えるためにウィットに富んだ表現があるのか、耳を傾ける。

  • 教わったことを直ぐに活用できる場や機会を創出しているか確認する。

  • 革新性を有しているか探りを入れること。

教わる側は、教わる内容だけにフォーカスしていては、時間を浪費してしまう。教えるノウハウを盗み出すことを疎かにしないよう、違った視点でトレーナーを観察することを心掛けたい。

えんがわ

えんがわ 子供の頃、祖母と祖母のボーイフレンドのおじさんによく近所のお寿司屋に連れて行ってもらった。当時は甘エビではなく、ボイルしたエビが大好物で、ほとんどそれしか食べなかった。大人になった今も大して変わらず、えんがわをこよなく愛食している。かなり低燃費ですが、意外とえんがわは貴重だったりする。

2011/03/30

成りたい自分に成る為に必要なこととは

成りたい自分に成る為に必要なこととは何か。


  • 成りたい自分が描けていない場合、成りたい自分モデルを探す

  • 成りたい自分のモデルが見つかったらとにかく真似をする

  • -どんなインプットをしているのか、時間の使い方をしているのか知る

  • -どんなアウトプットをしているのか、どうしてそれができるのか知る

  • 成りたい自分ツアーを開催し、理想的な1日をお試し体験してみる

  • 成りたい自分と今の自分とを比較し圧倒的な違いを1つだけピックアップする

  • 成りたい自分と今の自分の圧倒的な違いだけに特化し、ツアー頻度をあげる

成りたい自分に一部分でも成れたら、またスタートに戻って繰り返すことで、どんどん成りたい自分に近づくことができる。成りたい自分像は周囲の人々にどんどん伝えて、実行力の底上げをしておくと良い。

2011/03/24

ドラッカーと会計の話をしよう


林總さん著書、ドラッカーと会計の話をしよう。今年の新入社員からお勧めされた1冊で、わざわざ店舗に持ってきてくれた。

学んだことを3つ
①会計が簡単に操作できる代物であることを改めて再認識した。
②経営で一番重要なことは価値の創造であること。
③商品のライフサイクル(備忘録として列挙しておく)
  1.今日の主力製品
  2.明日の主力製品
  3.生産的特殊製品
  4.開発製品
  5.失敗製品
  6.昨日の主力製品
  7.手直し用製品
  8.仮の特殊製品
  9.非生産的特殊製品
  10.独善的製品
  11.シンデレラ製品あるいは睡眠製品

そう会計は操作できる。私も商品を自分で仕入れて商売をやっていたときに売掛/買掛を利用して当月の現金収入を調整していた。今思えばこれも会計操作。そのとき無意識に感じていたことが、この本に記されていたことと同じだ。プライシングについても仕入れ価格に何倍するということではなく、お客様が支払ってもらえる、つまり価値を認めてくれるのは、いくらか?で確定させていたから、それぞれ利益幅は異なったが、これだったら値ごろという価格をつけていたので商売は順調で儲けていた。そこに収まるようにコストの枠を組んでいた。改めてこの本を読んで、自分で商売をやることの面白さと厳しさを実感できたが、利益と儲けの区別はつくか質問されたら、かなり困る。

この本を読んで③の切り口で商品を毎週月曜日トップ60のアイテムを選別することに決めた。

2011/03/16

営業する意味

これは実際に宮城で震災に合われた方のメールだ。
シャッターを開けることで、実は被災地の方々に貢献できる
ということの1つのケースだ。これが正に我々が営業をやる意味だ。

以下、メール添付
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避難所に2泊した3日目、精神的にも限界を迎え始めた早朝、
突然旦那が迎えに来てくれてなんとか通行止めをぬって
福島の実家に連れて来てもらったよ

旦那は電気屋さんだから仕事しなきゃですぐ帰っちゃったけどね

避難所生活は実際に経験してみないとわからない位過酷でした
寒さで眠れないし衛生状態も最悪

多賀城の自宅は水道はしばらく1ヶ月は無理かな~、
すぐ近くまで津波が来たから普通に買い物して
生活できるにはしばらくかかりそう…
だから落ち着くまで●●(お子さん)と実家にいます
実家は水道が出ないけど、暖かい布団に寝れて幸せです

昨日、●●のズボンとおむつ、ミルクをなんとか買えたから
しばらくは大丈夫かな。
本当に気づかいありがとね

私は避難できる場所があって本当に恵まれている方だよ

高速道路は一般車輌は通行止めで、ヤマト佐川西濃
すべて宅配便はストップ状態です
友達達は皆実家に帰れたみたいで、無事がやっと確認できたからひと安心

ガソリンもなくて旦那にも会えないし、
多賀城で旦那と3人普通に暮らせる日が来るまで頑張るよ!

テレビ見ると、関東も物資が不足しているみたいだけど
お互い頑張ろうね!
ありがとう!
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インナーやキッズ、防寒できる商品などを福島に送ってあげられる
ことで実際に被災地の方々に貢献することができる。買い物目的が
実は遠方の親戚や友人の為ということだって多々ある。
逆に言えば、営業しないことで期待に添えないことの方が大きい。
シャッターは絶対に開けなければいけない。

経済のシュリンクよりマインドのシュリンクが問題

各企業の営業活動について、自粛せよとか、配慮が足りないなど賛否両論ご意見はあると思うが、日本の経済活動を停止させてしまっては、被災地のための復興支援に投下できる経営資源が底をついてしまう。もっと大局を見るべきだ。経済のシュリンクは恐ろしいが、最も恐ろしいのはマインドのシュリンクだ。商売人は商売をやる。どんどん税金を払わないと、国にもお金が回らない。あがった収益から復興支援にどんどん寄付金を回せばよい。それに衣食住やインフラに携わるものがシャッターを閉めてどうするんだ。人材育成だってもっとやらなくてはいけない、今後何年にも渡って、日本を支えてゆく人々を育てることを休むことなど、それこそ被災地の方々に対して合わせる顔がないではないか。本当に大切なことを、雑音でかき消されないようにしないといけない。シャッターを下ろして暗い顔してうつむいていて、誰が救われるのか考えてみればよい。確かに映像を見ていると悲しいし、いたたまれない、涙をこらえるので精一杯だ。だがそこで立ち止まっていても、決して何の貢献もできない。私は、会社のプラットフォームを利用して、とにかく営業すること、何よりもそのことが一番社会に与える貢献度が一番大きい。私個人の貢献など雀の涙にもならない。だが仕事を通じての貢献度で言えば、中小企業ぐらいの貢献度はある。私は信念を貫く。日本を再建できる優秀な人材を送り出す。

2011/03/15

成長こそ貢献

今回の大震災で現在も寒さや不安と戦われている被災地の皆さんのためにも、私は私ができることをするべきだと考えた。計画停電や設備の損壊など、職場の状況も厳しい状態にあるが、冷静に考えたら、本当に今後の復興や日本社会に貢献しようと思えば、一日でも早く仕事を立て直し、必死に学ぶ日々を取り戻さなければ、今の私の力では到底なんの役にも立てない。自衛隊に助けられたおじいちゃんが、チリ地震も体験した、大丈夫、また再建しましょうと言った時の素晴らしい笑顔、このおじいちゃんは本当に当時同じような困難を自ら切り開いてきたに違いない。だから言い切れるのだろう。勉強も再開する。仕事も今こそ柔軟に、かつ大胆に自ら環境を作り出すためにリーダーシップを発揮してゆく。できない理由をいくつ並べてもなんの価値もない。どうしたらできるのか、いくつアイデアをねじり出して実行できるかに価値がある。成長こそ貢献。足踏みするのはもうやめよう。

2011/03/12

余震が続く中での電力不足による停電対策

〔余震が続く中での電力不足による停電対策〕

まず全員が極力無駄に電力を消費しないよう
当事者意識を持って協力することが大前提。

□浴槽にいっぱい水をはる
□バケツを用意しておく
□飲料水パックを買っておく
□ろうそくを買っておく
(今はLEDランタンなどがあるのでそちらがベター)
□懐中電灯
□携帯電話やPCをフル充電しておく
(乾電池を差し込んでチャージできるものがあれば尚便利)
□車にガソリンを入れておく
□灯油を買っておく
□スリッパを玄関にできるだけ用意しておく
□ワレモノを低い位置に置いておく
□緊急用の荷物を避難経路におく
□枕元に着替えとハキモノ

※再度の緊急時にはTwitterかSNSで連絡を取る、すり合わせをする。
電話やメールよりも、タイムリーな会話が成り立つ。

2011/03/10

過去を生きる、今を生きる、未来を生きる

過去を生きる、今を生きる、未来を生きる。

生きるということは、とても厳しく辛いことだ。世の中は不平等で、矛盾だらけでできている。だから、そのことを前提にしていないと、何で生きるのはこんなに辛いのか。ということばかりに気がとられてしまい。足の踏み場を無くすことになる。所詮この世は、あらゆる人間の思惑が複雑に絡み合いながら、あっちこっち都合の良いようにくっつけたり、離したり、ルールを作ったり抜け道を作ったり、そんなものだから、辻褄があうわけもない。そこを堂々と認めて受け止めた方が余程楽だ。

デジタル機器の普及で、今や鮮やかな画像を記録として残すことができる。もちろん動画だって簡単そのもの。私達の記憶は、デジタル機器に勝るのか、劣るのか。あの時見た綺麗な夕日を私達は脳に記憶として刻むことができるが、10年経過して、その当時のことを思い出すときの記憶と、その時デジカメに記録した画像を比較した場合、果たしてどちらが鮮明なのか。きっと美しい画像と自分の記憶に差があるはずだ。人間が脳に刻む映像はあまりにも美しすぎて、色褪せることがないどころか、時間の経過とともに、より美しくなってしまう。これが私達を過去に閉じ込めてしまう甘い誘惑なのだ。過去に生きることは、恐ろしく甘い誘惑であり、一度踏み込んでしまうと抜け出すのが難しく、今流れている時間を放棄することになりかねない。歴史に学ぶことはあっても、歴史の中を生きてはいけない。

未来を生きることはできない。明日は誰のところにもそもそも存在していない。明日になればそれは今日になるからだ。そもそも二度と目を開けることもないかもしれない。だから恐れる心配もない。

では今を生きれば良いか。これが更に難解だ。今と呼ぶ、この瞬間が既に過去に流されてゆく。つまり変化とは必然で、常に今が存在できない。これが「無常」なのだろう。無常の中で、永遠の愛を誓うことは愚としか言いようがないが、本当に素晴らしいのは、この流れてゆく一瞬、一瞬を「一期一会」と捉えて生きること。毎日誰かの良いところを見つけては、毎日誰かの為に、何か自分にできることがないか、必死に積み重ねてゆくことが、人間が幸せでいられる秘訣なのではないだろうか。これを忘れるとき、何かが崩壊してゆく。

もしも私がお坊さんで、「無常」の中で目標設定するのはどうすればよいのだろう。
全く想像の域を超えたところで、お坊さんは、生きておられるのだろうと思った瞬間だった。

2011/03/03

汚物を人に投げない

怒り、嫉妬、憎しみ、わがまま、エゴは人間の汚物である。それを人に投げるのは論外。NGな人にならない秘訣は、この汚物を垂れ流さないこと。汚物まみれの人と共に過ごさないのも重要。そして汚物を投げつけられたら、投げ返さないこと、この3つ。

くじけないこと


「くじけないこと」スリランカ上座仏教長老、アルボムッレ・スマナサーラさんの著書。足元をみなさいと説かれている真意を理解することに、数日間を費やした。物事の捉え方について言えば、一番自分の考え方に親和性が高い内容だと感じるとともに、片方から光を当てると、影が映し出されるような二面性や、世の中の矛盾に関してよく俯瞰されている内容であった。確かにアーティフィシャルな社会であることがわかっていれば、くじける理由はなくなる。

著者の導く方向で、Made For All、あらゆる人々の為の服作りの概念について考えるとき3つのアンチテーゼを投げかけることができるのではないかと、自らが持つ概念の対極に位置する考え方をぶつけてみた。1つ目、服を必要としない人々に対して、服を押し付けることにならないか、またその人々をアーティフィシャルな社会に引きづりこむ責任が取れるのかどうか。2つ目、服をすでに必要としている人々に、良い服を提供することが、より高度な競争をうみ、淘汰される企業や、そこに従事する人々の生活を奪う可能性を高めることになるのではないか。そして最後が、手ごろな価格で高品質なモノには満足できない、もっとよりよいモノを求める貪欲な人々をうみだすことになるのではないか。正しい考え方や価値観というものは、実は非常にあやふやで、正しいと思い込んでいる危険性をはらんでいることを知っておかないといけないことに気づかされる材料となった。このようなことを経営者に直接ぶつけた場合、どのような答えをするのかが、とても興味深い。