2007/08/29

ドーナツ化現象

休日に家族で買い物がてら昼食をリンガーハット(長崎ちゃんぽん)で食べた。
リンガーハット自体は昔から知っていたが、利用しはじめたのは昨年あたりから、はじめて食べて、こりゃ旨いと感じてから野菜もたくさん入っているし味は自分好み、そもそもラーメンが好きだから、文句なしにロイヤルカスタマー?になった。
うきうきでお店に入りメニューを眺める。
見慣れない、「つけめん」の文字が目に留まり、これは一度ぐらい食べてみるかと決断。
オーダーして暫くすると、パートのウエイトレスさんがやってきて、
「つけめんはございません」の一言。???
「つけめんは売り切れですか?」(しまったそんなに旨いのか!?)
「いえ先程のメニューが間違えて掲載されておりまして・・・」
こちらをどうぞと違うメニューを差し出されたが、やっぱりデカデカとつけめんが載っている・・・
つまり期間限定でもう終わってしまったことだとわかったので、定番のちゃんぽんを注文した。
しかし、後ろの壁にも「つけめんあります。」テーブルの上にも「つけめんオススメ」隣に座った客のメニューにも、つけめん載ってます。
販促物エラーだな(笑)

次に考えたのが、店長は何をしているのか。店長は管理していないのか。
それらしき人物は見当たらない。
そこから、ちゃんぽんが運ばれてくるまで考えた。
なぜ?こんな初歩的なミスが発生しているのか。軽く店舗チェックをしてみました。
①クリンリネス低下:一ヶ月ぐらいは窓枠を拭いていないため、蚊がひからびている
②サービスレベル低下:店員はこちらを全く見ていない。
①と②は明らかに店長の責任だと思ったが、それ以外で何かないか。
おそらく人件費の問題と、ホールの顔ぶれから求人難による人員不足あたりが原因ではないかと検討をつけてみた。
ではなぜこうなったのか?を更に美味しいちゃんぽんをすすりながら考えてみた。

それは、ドーナツ化現象である。

ドーナツ化現象なんて久しぶりに耳にしたと思うが、社会の授業で出てきたドーナツ化現象である。
ドーナツ化現象とは、大都市の中心部の居住人口が地価の高騰や生活環境の悪化などのために減少し、周辺部の人口が増大して人口分布がドーナツ状になる現象である。

実はこれが社会構造になっているのでは、という仮説をここで紹介したい。3Kという言葉をご存知だろうか、きつい、きたない、きけんの頭文字アルファベットのKを取って3Kである。私が言いたいのは、この3Kという仕事を中心にドーナツ化現象が起きているのではないかである。

3Kの仕事というのは、よくよく考えると我々社会に取って不可欠な仕事、最も必要とされる仕事で、なくならない。できれば誰もやりたがらないけどニーズは物凄く高い仕事なのである。

この3Kを中心に社会は大きな円を作っている。できることなら外側にある。あまりきつくなく、そこそこ楽で稼げる仕事、融通のきく仕事(時間的にも、能力的にも)へ外へ外へと力が働く。当然中心は空っぽになっていくが、絶対に誰かがやらねば成り立たない。外側にいる人は美味しい仕事の奪い合いをする。そこからあぶれた人の中には潔く中心の3Kへ入る人もいるが、中心には入れないが外にも居場所を見つけることができないと、ただ、その場を漂うだけとなる。

現実問題、共働きの家庭が多いと思うが、人気のある外側の仕事がないと片方が稼がなくてはならなくなり必然的に長時間労働、なんとかしてバランスを取って生計を立てているがために、朝から晩までなんとか働く、稼ぐ、ワーキングプアとまではいかないが、ひたすら走る毎日が続く。

1週間びっちり働いて、絶対にやらなければならない用事を片付けたら人間らしさを取り戻す時間を求める。とにかく忙しくて時間がないものだから、休みのほんの束の間に洪水のように安売りやお手軽レジャーに人々がなだれ込む。これがひっきりなしに繰り返される。

肝心の格安や手軽なレジャーは円の中心だから担い手不足でフル回転。日ごろは、こんな過酷な条件の中で必死にサービスらしきものを提供する側が、休日にもなれば、今度は自分が提供できるサービスレベルを超える要求をつきつける。これではお互いが削りあっているようなもの、社会は疲弊し活力は奪われる。

どうしてこんな社会になってしまったのか。昔はこんなはずじゃなかった。正月が私たちにはあった。今はそんな遠い記憶呼び戻すこともできない。確実に社会は変貌した。

累進課税とは、たくさん稼ぎのある人にはたくさん税金を少ない稼ぎのひとには少なく税金をもらう。確かに不服もある。だからといって、現在がいいかといえば間違いなくNoである。

市場至上主義は日本をこのように変えてしまった。僕らにできることは何なんだろうか。

第一歩はお互いがお互いを労る精神である。忙しいウエイトレスさんに簡単なお手伝いをしてあげようじゃないか。皿を重ねてコンパクトにしてあげればいい。できることからはじめないといけないのではないか。お金を払えば身分が上ということではない。同じ人間、食べ物を作ってくれること、運んでくれることに感謝しようじゃないか。

We are the champ-pon ウィ-アーザ・チャンピョンと掛けているのか、カラフルなちゃんぽんちゃんがポスターとして貼られていたが、私にはセピア色に映った。