2007/08/23

仕事とは何か

仕事とは何か?という問いは、かなり難しい質問だと思うが、ある有名な「バカの壁」を書いた方がコラムでこんなものを載せていた。
仕事とは何か?
仕事とは誰かに必要とされている、社会に必要とされているものである。
簡潔に訳すとこんなところだそうだ。
つまり、ある仕事Aは、それによって社会を豊かにする。
例えば、好価格で、とっても素敵な洋服が買えることを実現するための仕事Aは、それを着る人々に楽しみや喜び、または暖かさや快適さを提供してくれるというように、誰かが、もしくは社会が要望しているために必要で誰かがやらなければいけない、だから仕事Aが存在している。
仕事Aが必要とされている。
この仕事Aをあなたがやっているだけというのが現実。
この仕事Aは他にできる人がいれば極端な話、あなたでなくてもいいのである。
世の中は、このように必要とされている仕事にそれをできる誰かがついているだけの話なのだ。
確かにその通りだと思う。

そして養老孟司さんは、この仕事を自分のためにやるようになったら危険だとおっしゃっている。
つまり判断ミスをしたり私利私欲に走ったりして、本来の仕事の目的を見失って、そのような仕事をしてしまった方はハイさようならである。という話である。
それならまだ、いい方で他人様にご迷惑を掛けるとんでもない奴まで現れると付け加えている。

かのドラッカーも同じようなことを言っている。
事業(仕事)とは何かを定義することを薦めている。
その事業が存続するか、企業が繁栄するかは、事業の定義次第であるということである。
社会が求めるもの、顧客が求めるものを我々の事業とは何かの答えに導ける企業のみが成功し存続する。

私たち店長も常に自分の仕事については「我々の仕事とは何か」考えて答えを持っていなければならない。
その仕事とは何かの答えを間違うとき、我々は店長職を退かなければならなくなる危険をはらんでいる。

「白い恋人」は北海道のお土産として、思い出の味として、国民とともに存在していた。
あのパッケージとあの味から遠い昔の思い出が蘇るひとだっている。
今は亡き、誰かと食べた貴重な思い出の品であったかもしれない。
事業(仕事)とは何かを今一度問う必要がある。
それを誤ると社会や人々が不幸になってしまう。
本当に心が痛む、残念な事件が続いている。

その仕事はあなたがやらなくてもいいのである。
でも仕事は誰かがやらなければならないのである。
それは誰かが、その仕事を必要としているからである。
あなたが自分のために仕事をしているのなら遅かれ早かれ、あなたはその仕事から追い出されるだろう。
もしあなたが、仕事を自分のためにしているのなら誰かに譲るべきである。
必ずその仕事は他の誰かができるのだから
あなたがもし、自分のために仕事をしているのなら、それは数多くの人々を不幸にする、社会を不幸にしてしまう、だから即刻あなたは退場すべきである。
あなたの仕事は他でもない、あなたの為だけの仕事なのだから
つまり誰もあなたを必要としていないのだから。

店長として必要なことは、会社の、我々の事業とは何かを考えて、それが間違った方向へ行かないように常に現場を見る、本部を見る、社長を見ることである。
もし間違いがあれば、それは声に出して言わなければならない。
もし声に出して言わなければ、その会社は退場する。