2008/04/27

悔しさはどこから来るのか

先日悔しい思いをしてから、そういえばなぜ、こんなに悔しいのか考えてみた。負けず嫌いと一言で言い続けていたが、よくよく考えると「自分に屈するのが嫌い」ということがわかった。その理由は、単純であった。自分で決めたことができないときでも、いくつかパターンがあり、悔しい場合は外的要因がほとんどないとき。つまり全責任もできなかった理由も全て自分に向いている時だ。これが譲れない一線だった。その反面、決めたけど、外的要因が存在する場合は許容範囲がある。それはチームで仕事をしたり、第三者の影響を受ける場合で、この場合は異常な悔しさはさほど沸いてこない。むしろなんで上手くやることができなかったのかを考える方向に力を使うようだ。そしてそれが最大の弱点になっているようにも感じている。最終的には、そこすら上手くゆくようにできなかった自分に同じくらい悔しさがわいてこないといけないのかもしれない。知らず知らずに脇が甘くなっているのが、この数年の私の一番の欠点だ。今回の不勉強は二度と忘れないくらい、例えるなら自分でガックリ両膝をついた感触だ。最大のライバルは自分を知り尽くした自分だと思う。