2008/04/14

海外赴任の落とし穴

かなり意味深なタイトルですが、今日インターネットがつながって、ニュースやRSSに蓄積されたブログなど、丸一日お休みを使って情報をリセットしました。そこで改めて感じたことは、日本語は母国語であるがゆえに、聞き取り易く。読み易く単純だが、言葉の羅列が持つ価値というのは私にとって、非常に高くなる。香港に来て最初に感じるのが、広東語の中だと、英語が止まって聴こえるということ。つまり広東語より、英語の方が心地よいし、意味もわかるという現象。雑誌を読むにも英語が貴重な情報源で、テレビは専らブルームバーグに固定された。北京語でインプットすることとアウトプットする事といえば、低レベルに成り果てる。耳も慣らし、語彙も増やさないといけないので、ごくごく簡単な会話で構成されるテレビドラマをひたすら見るが、1日中見ているわけにもいかないので、時間配分を決めておく。言葉や情報源についての環境はこんな感じだが、なぜ海外赴任の落とし穴なのかというと、今まで、良質な言葉や情報を簡単に入手できる環境があったが、海外赴任すると何か特別な環境にいるから、とにかく流され易い。単純に相手に伝えるという手段でしかない語学に傾倒すれば、肝心の中身が1年もすればスッカラカンになるだろう。つまり伝える内容がペラペラになってしまう。手段に磨きはかかるが、目的を意味するところが希薄になる。唯一のメリットは日本のフィルターが外れることである。中国のフィルター、米国のフィルターは全く違う。無意識に複眼視できる環境に入るというのが海外赴任のメリットかもしれない。良質なインプットを今まで以上に行いながら、手段である語学を磨き、アウトプットの幅を広げることは決して容易でないことは、この3週間で身にしみたことだが、インターネットにつながった今日以降は、もっと負荷がかかってくることは目に見えてしまう。予定だと残り11ヶ月と1週間の赴任生活になるが、ここでしっかりと流れを整理整頓する必要がありそうだ。何よりも時間が有限であるがゆえに、新しい環境に入ると、いつもこの時間再配分が確立されるまでスッキリできない。