2008/04/24

自分の言葉の素晴らしさ

最近感じることの1つにブログで本の書評をする。もしくは誰かのブログについて自分の意見を書き出すものが多いのだが、何よりも0から書き出している方々の文章と言うのは素晴らしいと思う。内容が正しいか正しくないか、有益か有益でないかというのはまた別問題だと思う。その文章にはそのひとが表れている点が素晴らしい。献本されたものを書評するというのは、書いた本人の意思で感想をもらいたいから献本するのだろうから(売るためということもあるけど)それはそれで良しとしても、誰かの書いた内容に対して、何かを書くと言うことは非常にエネルギーもいらず簡単なことだと思う。それこそ論理の欠落している部分や情報収集してから物申せる点も、後発性のメリットに与れる。そう考えると先発性にはR&Dという負荷が大きくかかっているが、後発性ブログと比較すると圧倒的な存在感を感じる。ネット上には、先発性ブログと後発性ブログが存在しているのだ。ともに共通する特徴は、インプットはどちらも優れているが、アウトプットの質で差が出る。実は似ても似つかない。先発性ブログのアウトプットの特徴は、独自の表現があり、未開拓の領域にスパッと突き抜けた論理が突き刺さるのに対して、後発性ブログのアウトプットの特徴は言わば玉拾いの類。先発性ブログが動かないとアクションが起こせないか、過去の内容を穿り返すような何のためのアウトプットかわからないものが混在している。知的生産性に乏しいと感じる。梅田望夫さん著書「ウェブ時代の5つの定理」に集められている言霊の主達こそ、先発性情報発信の先駆者達である。自分の言葉をアウトプットする本来の素晴らしさを放棄してはならない。