2008/01/20

考える力を奪うもの

私達の考える力がどんどん奪われているように思う。「どうしたらよいですか?」「何をしましょうか?」という言葉をたくさん聞くようになった。決まって「どうしたらよいと思う?」「何をすべきだと思う?」と考させる質問で返すことになるのだが、考える力が弱まっているのは、何も店舗だけではなく、この世の中の大半がそうなっていると思う。長期休暇中、買い物に行ったり、遊んだりしている中で、平日休みである私は週末休みの方が普段どんな生活をしているのか味わうことができて考えることも多かった。なぜ人々は行列するのか。長い車の列を見ていると、それが当たり前だから仕方ないというような印象すら受ける。反対車線はガラガラ。平日休みの私達からすれば、非常識なことが週末休みの方々には常識であったりする。子供を遊ばせる広場やアミューズメントパークもゴチャゴチャで慌しく、気が休まるどころか、お祭り騒ぎに近い異様な熱気。日本はこれで本当にいいのか?と思った景色が広がった。私達は日増しに考える力を失っている気がする。巧みにメディアにコントロールされ、自分らしさを取り違え、関心を示すもとと言えば表面的に日々目に映る極めて流動的なことばかり。明日からルール変更ですと言えば、新しいルールを一生懸命書き写す。そこにはなぜルールが変更になるのかへの問いかけは存在しない。ニュースは情報の垂れ流しだ。ニュースは事実であることが大半だが、何も語ってはくれない。ニュースはなぜそれが起こったのか今後何が起こるのかを推測し、何かのアクションにつなげてこそ価値を発揮する。原因は点検の不備ですというメディアの考えをそのままコピーし続けることは非常に危険極まりないことである。