2008/05/01

中国現代史を学ぶ

昨日と今日の公休日は、専ら炊事、掃除、洗濯など家事が中心であった。合わせてずっと風邪で喉が腫れたためせきが止まらない状態であったので、基本安静にしようと、引きこもりをしていました。おかげで体調も回復、明日からの仕事へのエネルギーに溢れております。最近は字幕つきドラマなら内容が想像できるようになりましたが、ヒヤリングのみだと未だ絶望的な感じは否めません。なるべく耳から入れる音は全て北京語にしようと一日中音楽を流したりしています。本日の失敗は、上司の電話、音楽流しっぱなしのため全く気づきませんでした。日本から持ち込んだ本も残りわずか、結構ボリュームのあった本を2冊、この2日間で読了。この国の生い立ち、政治、政策、この国の国民性はどのように醸成されたのかなどを知ることができました。自分の国の歴史を正しく知ることができない状況というのは、本当に不幸なことで、その代償はあまりにも大きく、将来のこの国に影を落とすことになるかもしれません。私の人生の中で、中国は未知の国で、様々な疑問がありましたが、ほとんどのことは、回答が得られたと思います。夜になってソファーに座って読書をしているとあちこちから、ピアノの音が聴こえてきます。悲惨な歴史を読み解いている中、ピアノの音が聴こえてくる、このミスマッチ感、しみじみとした気持ちにされますね。この国は今まで失った知識人を取り戻さなくてならないでしょう。もっと自らのことを学び、自ら葬った価値ある人々、罪なき人々に報いることが大切ではないでしょうか。自分達の事に無知ではいけない。物事を正しい方向へ導けるような圧倒的多数の見識ある人々が育たなくてはなりません。そう考えると資源もないアジアの小国日本が生き残るためには、学ぶということ、勤勉で規律正しい、礼儀を備えている、卓越した技術力など、私達は人間としての向上でしか付加価値を発揮できない境遇にあることにもっと危機感がなくてはいけないと思う。日本に必要なのは教育だ。教育こそが国富の絶対条件であると考える。それも真実を直視させる教育が望ましい。都合の良い解釈を促す、もしくは、歴史を捻じ曲げるような教育は歪んだ思考を生み、歪んだリーダーを醸成してしまう。ありのままを受け入れ、あるべき姿を描ける人間こそ切望される。我々は平和ボケしていないだろうか。