2008/05/06

眼鏡の度

眼鏡をしているわけではなく。こちらに来て毎週、中国のことをレポートにまとめているのですが、毎週賛否両論、様々な意見やアドバイスを頂いている。そして毎週しびれる。情報過多も良くないし、客観的すぎて評論家のようになるのも良くない、自分の考えを盛り込むことも必要だが、そこが曖昧でもまた良くない。しかし強く主張したり、あまりにも詳細に寄るのもどうかと考えてしまうが、要は「眼鏡の度」のようなものなのかと感じた。マクロすぎ、ミクロすぎ、人によって感じ方は違うし、人によって必要とする情報のアップ具合(より具合)も違うのが、賛否両論となっているのかもしれない。厳しい意見を必ず週に一度は頂く。それは素直に受け入れることにしている。実際言われたことをどんどん吸収することで、毎週変化しているのは事実であり、複眼視という点では、あらゆる立場の方々から意見を頂くことで、抜け漏れが少なくなり、結果大きな自己成長につながるわけで、とても有難いことなのだ。しかしやはりショックはショック、必ず毎週パラライズド(痺れる)、それも慣れてきたのが恐ろしい。人間は慣れる生き物なのだろう。一番苦しいのは自分が自分に強いるプレッシャーである。誰よりも圧迫感があり、強制力がある。今週のレポートは頂いたアドバイスをもとに改善してゆこうと思う。簡単に言えば、「自分が有り金全部叩いて事業を興すかどうかの判断ができる」ぐらいじゃないと駄目だということに気がついた。これが本当の経営視点ということなのかもしれません。